【君が待っているからB】 P:04


 色々考えて、顔を上げたんだけど。じいサマの静かな視線に当たった俺は、また下を向いてしまう。
「あの…あのね。いま誰にでも知られちゃ困る過去があるって、言ったよね?」
「それが、どうした」
「…惺にも、あるの?」
「…………」
「じいサマはそれを、知ってるの?」
 ちらりと窺うように視線を上げた俺は、ちょっと驚いたみたいな、でもどこか怒ったみたいな様子にも見えるじいサマの顔に、慌ててまた下を向いた。
「そんなことを聞くために、学校を抜けてきたのか?」
「知りたいんだ」
「知ってどうする」
「わかんないけど…でも…ねえ、惺はなんで俺を、引き取ってくれたの?」
「直…」
「じいサマはなんで、俺のこと惺に引き取らせたがったの…」
 胸につかえた疑問を吐き出して、はあっと息をついた俺のことを、じいサマは手を組んで見つめてた。
「お前が選んだんだろう?」
「そ、それはそうなんだけど。だってあの時、じいサマが俺に選ばせたんでしょ?誰が聞いたって、あれじゃ惺を選ぶ、と…思う…から…」
 しだいに厳しくなってくじいサマの瞳に、俺はちょと怖くなったけど。それでも逃げるつもりはなかった。
 八歳の俺に、じいサマが迫った選択。俺いまでも覚えてるよ?
 施設へ行くか、ここの居候になるか。
 それとも、惺のところで楽しく暮らすか……じいサマあの時、そう言ったよね?
 だから俺は、惺と一緒にいたいって訴えたんだ。
「今更そんなことを聞いて、どうするんだね。惺の元が嫌になって、ここに住みたいとでも言う気か?」
「そうじゃない」
「なら施設へ行くか?お前はまだ学生で、未成年だ。探せば受け入れるところもあるだろうさ」
「違うってば!」
 俺は立ち上がって、大きなデスク越しのじいサマに詰め寄った。
「惺が嫌なんて、そんなことあるはずないよっ」
「ならなぜ、今になってそんなことを聞くんだ。終わったことだろう?」
「でも、でも惺はっ!」
「なんだね」
「惺、は…俺を、引き取りたくなかったんじゃないの…」
「なにを…」
「惺は俺を引き取るつもりなんか、なくて…頼りにしてたじいサマが、引き受けてくれなかったから…仕方なく…」
 ねえじいサマ、俺わかんないよ。
 いつまでも惺と一緒にいたいと思ってたのは、俺だけだった?
「…俺は、惺を苦しめてる…」
 がっくりと椅子に沈んで、泣きたくなってる気持ちを隠すように下を向いた。
「惺には俺を引き取る気なんか、全然なかったんだよね…引き取ってからだって、いつ放り出すか、ずっと考えてたんだ…」
 いつまでもお荷物の俺に、嫌気がさしたのかと思ったけど。そうじゃない。
 惺は最初から、俺を受け入れる気なんかなかった。
「十年って、長いね…」
「…………」
「惺だっていい加減、嫌になったんだろうね…」
「何か言われたのか」
「高校卒業したら出て行けって、言われたよ…こんなに長く俺を手元に置くつもりじゃなかったって…」
 最初から決めてたって、惺はそう言ってた。せいせいするって……
「俺が出て行かないなら、自分が出てくって言ってた…」
「…そうか」
「俺、じいサマは惺のこと大事にしてるんだと思ってた…」
 責任転嫁だって、わかってたけど。言わずにはいられなかった。
「なんで俺を押し付けたりしたの?…惺は俺のそばにいなかったら、嫌な思いしなくて済んだんだ…」
 厄介なお荷物に身体を任せて、引き裂かれる痛みに声が出ないほど悲鳴を上げて。
 じいサマが惺に俺を押し付けたりしなければ、こんなことにはならなかったのに。

「……直」
 呼ばれて顔を上げた俺は、じいサマの表情に固まってしまった。
 じいサマ、俺を睨んでる……こんなにもじいサマが怖いと思ったのは初めてだ。
「あ、の」
 俺は自分の口にした言葉を反芻して、息を詰めた。すごい馬鹿なこと、言ってる。じいサマのせいにするみたいなこと。
「ご、ごめんなさい」
「…上っ面の言葉で謝っても、仕方なかろうさ」
「違うよ、違う。俺、じいサマにこんなこと言いたかったんじゃなくて」
「確かにわしが、お前のことを惺に押し付けたんだがな」
「ごめん、違うんだ。そんなこと思ってないよ。どうしてあの時、惺は俺を引き取ることにしたのかって、それが聞きたかっただけなんだ」
 自分の言った軽率な言葉が、じいサマを怒らせたと気づいて。慌てて取り返そうとするけど、でも言った言葉は戻らない。
 それでも焦って、俺は必死に言葉を繋いだ。
「ほんとにそんなこと、思ってない」
「人間はな、直。思ってもいない言葉を口に出来るほど、器用には出来ておらんよ」