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【君が待っているから③】 P:08


 呟いた俺の声にはっとして、振り返った惺は驚きに目を見開いた。
「直人…っ、どうしたんだ、ずぶ濡れじゃないか!」
 慌ててタオルを取りに行ってくれる惺。優しさのひとつひとつが、今は痛い。
 頭からバスタオルを掛けて、その上から俺の身体を拭いてくれようとするから。手を掴んで、やめてもらった。
 その瞬間、惺がびくって、怯えるように震えて。
 
俺は今までの自分の所業を、思い知らされた。
「…ごめんね…」
 もう一度呟いた謝罪の言葉を、どう受け取ったのか。惺は俺の顔から視線を逸らせて、下を向いてしまった。
「傘ぐらい、買えば良かっただろう?」
「いいんだ」
「その格好じゃ風邪をひく。すぐ風呂を入れるから、入ってあったまりなさい」
「もういいよ」
「…直人?」
 俺の言葉がわからずに、惺は訝しげな表情で顔を上げた。俺を見つめたまま、そっと手を伸ばしてくれる。
「これ、どうしたんだ」
 さっき殴られて、切れたところ。
「手当てするから座りなさい」
「いらない」
「直人?」
「平気…痛くないから」
 伸ばしてくれた惺の手を押し戻して、俺はふっと口元を緩めた。こうやって今までずっと、守ってもらってた。
 心配そうな顔には、眼鏡がかけられてない。そういえば最近はかけてないね。
 懐かしいな。
 出会った頃と同じ惺だ。十年も経ってるのに、何も変わらない。
 ……綺麗だね。
 ずっとこの顔を、見ていたかった。
「贅沢なことばっかり、言ってる」
 俺は馬鹿だね……
「どうした…何があったんだ」
「ううん、何も。何もないよ、惺」
 笑いかけると、惺はまた下を向いてしまう。俺の身体を服の上からタオルでごしごし擦りながら、躊躇いがちに惺が口を開いた。
「風呂に入りなさい…」
「惺…」
「待ってて、やるから。…するんだろう?そのままじゃ…いくらなんでも、風邪をひく」
 消え入りそうな声で言った惺が、迷う顔で俺を見て、頬を撫でてくれた。
 惺があっためてくれるの?
 風呂から上がったら惺を抱いてもいいって、そういう意味?
 俺はそんなことを言わせてしまうほど、惺を追い詰めてるんだ。
「もう、いいんだよ」
 頬を包んでくれてる手を引き離して、自分の部屋へ向かった。
「直人?…どうしたんだ」
 いきなり聞きわけが良くなった俺に、驚いてるみたい。そうだよね。何か言わなきゃ、わからないよね。
 だから俺は、ドアに手をかけたまま惺を振り返った。
「…今まで、ごめんね」
「っ…。直人、お前」
「もうしなくていいんだよ。惺が犠牲になることはないから」
 優しさに溺れて、何も見えなくなって。随分と酷いことをしてきたね。
「なにを、言って…」
「出来るだけ早く、ここを出ていくよ」
「!…直人、待ちなさいっ」
 驚く惺は眉を寄せて、俺を見てた。
 もっと早く言わなきゃいけなかったのに、ごめんね。雨に打たれてて、やっと出せた答えなんだ。
「すぐには無理だと思うけど、バイトして金貯めたら、出てくから。学校にも退学届け出しとくし、じいサマには何年かかってでも、今まで出してもらった金、返すよ」
「お前は、自分の言っていることが、わかっているのか?!」
「わかってる」
 すごい金額になるって、知ってる。
「惺に出してもらった分は、じいサマに渡すようにするから、気が向いたときにでも受け取ってね」
「直人っ」
「一生懸命、働くから」
 惺からもらったものを、返すために。
 俺が惺から奪ってしまったもの、少しでも返せるように。頑張って、働くよ。
 惺に腕を掴まれる。すごく怒った顔で、俺を見てる。こんな風に惺から厳しい視線を向けられたとき、今までの俺なら萎縮して、動けなくなるほど緊張してたけど。
 でも今は、泣きたくなってる自分が、まだちゃんと笑えてるって。わかってた。
「ごめんね…遅すぎだって、わかってるんだけど。でも気づいたのが今なんだ」
「…一体、何があったんだ。誰に何を聞かされた?」
「違うよ…何かが変わったんじゃない。俺がやっと、気づいたんだ」
 俺の腕を掴んでる惺の手、そっと押しやった。これ以上肌が触れてたら、笑っていてあげられる自信がない。
 俺が泣いたら、困るでしょ?
 惺は……優しいから。
「十年、長かったよね…本当にごめん。もういいんだ…」
「直人…やめなさい」
 どうしてそんな、辛そうに首を振るの?俺は俺の出来る全てで、惺を幸せにしたいんだ。
「俺を助けてくれて、ありがとう。たくさん傷つけて、酷いことをして、ごめんなさい。俺のことは気にしないで…惺は惺の思うように、したらいい」
「…………」
「俺ね、惺。…惺のためだったら、何でも出来るんだよ。知ってた?」
 そう囁いた俺の口元に浮かんだ笑みは、ついさっきまでの強がりとは違っていた。