【君が待っているからC】 P:02


 去年の夏休み、バイトしてたカフェに電話して、店長にもう一度働きたいって言ったら、大歓迎だって快く引き受けてくれた。
 そのことを話しても惺は「そうか」って言っただけ。それで、またキスされて。
 ……なんなんだろうね?
 嶺華を辞める件だけは、撤回した。
 惺が言う通り、ナツアキに心配をかけるし、笠原(カサハラ)のじいサマにも迷惑をかけるって思ったし。
 だからバイトは、生徒会で遅くならない日の放課後と、休日だけ。こんなんで家を出るための金なんか、貯まるのかな。
 惺に言われたから、学校の勉強とか、ナツアキに引っ張り込まれて役員になってしまってる、生徒会のこととかにも、手を抜いてないんだ。
 格段に忙しくなった毎日だけど、これくらいの方がいい。
 頭、悪いからさ。
 動いてる方が楽なんだ。
 惺はとくに優しくなったわけでもなくて、今まで通り厳しいけど。頭を撫でてくれる手や、肩を押さえる指先が、ちょっと柔らかくなってる気もする。
 いやでも、触れた唇の甘さに痺れてて、よくわかんないってのが、本当のところ。

 俺の通ってる嶺華学院は、私立のエスカレーター式って、前に言ったかな。
 幼稚舎から大学部まであるんだけど、共学なのは幼稚舎と大学部だけなんだ。初等部から高等部までは、男子部と女子部に分かれてる。
 一年後れの九歳で、初等部の二年に転入した俺は、だから嶺華の男子部しか知らない。他の学校はどうだか知らないけど、けっこう気楽で嶺華の雰囲気は好きだ。
 受験戦争とか皆無でさ。自主性を重んじるって建前の、放任主義。
 お祭り好きの生徒が多いせいか、何かっていうとみんな騒がしいの。金持ちが多いのは確かだけど、俺は貧乏のどん底からここへ放り込まれた割に、ナツアキを見てるから、そんなに違和感はなかったよ。笠原家に比べたら、大抵の生徒は普通だもん。
 長いこと一緒に学んでるせいか、俺が実際はひとつ年上だってことも、みんな気にしてないし。気にしてないどころか、身長以外で年上だと思ったことなんかないって、言われたりもするしね。
 入ったばっかりの頃は、転入生そのものが珍しいから遠巻きにされてたけど、ナツアキがしょっちゅう顔出して、周りとの壁をなくしてくれたおかげで、すぐ馴染んだんだ。
 家に惺がいてくれて、学校にはナツアキがいてくれる。俺はこの十年の間、その幸せを疑わずに生きてきた。だからこそ、俺にとってナツとアキのいない生活なんか、惺から離れるのと同じくらいに、考えられないことなんだ。
 惺から貰ったものは、全部返さなきゃって思ったとき。嶺華を辞めることはあまり気にならなかったけど、ナツアキとも会えなくなるんだって思ったら、寂しかった。
 
 
 
 どんっ…て、座ってた席の机を蹴られて顔を上げたのは、もう昼休みも終わりそうな時間。
 少し険しい顔の千夏(チナツ)と、いつもならそんなナツを止めてくれるのに、黙って横に立ってる双子の千秋(チアキ)を見て、俺はちょっと頬を緩めてしまった。
「あ〜…バレたんだ」
「バレたじゃねえよ」
「怒ってる?」
「当たり前でしょ?!」
 うん、ごめんね。
 俺は子供の頃から、二人に心配掛けてばっかりだね。
「えっと…」
「えっとじゃねえだろ、こんなところで話せるか。ちょっと顔貸せ」
「いやでも、もう授業始まるし…」
「どうでもいいんだよ、そんなこと」
 うわ、珍しい。アキがそんな風に言うなんて。ナツに比べてずっと真面目な性格のアキなのに。
 どうしたものかと、動けないでいる俺の腕を掴んだナツは、さっさと歩き出してしまう。
「こいつ、借りてくから」
「先生には適当に言っておいてね」
「ぐだぐだ言うようなら、笠原千夏に拉致られたってゆっといて」
「僕の名前でもいいよ」
 その辺にいたクラスメイトに言う二人は、唖然としてる周囲を見てないみたい。
「…それ、同じことだと思うなあ…」
 ナツだろうと、アキだろうと、双子が仲いいのは先生たちにも知れ渡ってるんだから。どっちの名前を使っても、二人が共謀してるなんてこと、火を見るより明らかなんじゃない?
「お前は黙ってろ」
 ぴしゃりと言われてしまって、俺は仕方なく二人に引きずられながら、おとなしく歩くことにした。

 二人には内緒にしてたけど、バイトのことはすぐにバレると思ってたよ。
 ナツアキが生徒会長と副会長だからって訳じゃなくて。二人は友達多いし、嶺華の有名人だし。それ以上に、情報網が広いから。俺のことなんか普通のことでも、耳に入るまで一日もかからない。
 今回は時間がかかった方じゃないかな?