「せ、い…」
ほっそりとした惺の腕。
確かに深く切れた傷があったけど、それは俺の目の前で、不思議なほどきれいに塞がっていく。
両端から同じスピードで、傷口がゆっくりゆっくりくっついていくんだ。
開いた皮膚がくっついて、じわりと浅くなったかと思うと、ふっとくっついた線が消える。
そんな風に端の方から、ゆっくりと。
浅い色の肌には溢れた血だけが残って、跡形もなく傷が消えていた。
どれくらいだろ……五秒くらいだったのかな。俺にはもっと長く感じたけど。でも惺の傷はじいサマの言う通り、俺の目の前で消えてしまった。
俺、この時になって初めて、自分がじいサマの言葉を全然本気にしてなかったんだってわかったよ。
じいサマの気持ちとか、そういうのはちゃんとわかってるつもりだけど。惺の身体のことは、理解できてなかったんだ。
これがきっと、死ねないということ。
惺を苦しめ続けてる運命。
「せ、い」
呆然として呟く俺の身体を、惺はやんわり押した。
「離しなさい」
胸の辺りを押され、そのまま一歩後ろへ下がってしまう。
俺の腕から抜け出した惺は、ナイフをその辺に放り出したかと思うと、驚くような冷静さでキッチンへ戻って手を洗い、タオルで拭きながら出てきた。
まだ露になったままの腕には、なんの跡形もない。まるで何もなかったみたいだ。
「不気味なものだろう?」
囁かれても、耳に入ってこない。
俺は力が抜けてしまって、膝をついたけど。自分の手が真っ赤に染まってるのに気づいて、泣き出したくなった。
惺の血で染まってる両手を握り合わせ、顔を上げる。侮蔑の滲む視線で見下ろしてる惺を見つめる。
ただ見ていただけの俺の心が、悲鳴を上げていた。痛いのか辛いのか悲しいのか、わかんないよ。
「なんとも…ないの?」
掠れるような声で聞いてみる。
ねえ惺、その傷は本当に消えたの?
「ああ」
「ほんとに?ほんとになんともないの?ちゃんと治ってるの?」
「見てたんだろう?お前が見たままだよ」
ああ、そうなんだ……。
俺はようやく安堵して、緊張していた身体の力を抜いた。
「…良かった…っ」
目を閉じて、祈るように頭を下げる。
良かった、本当に良かった。
惺が傷つかなくて良かった。
「直人…?」
「ねえ惺…痛みは?痛みは引いた?」
どんなに傷が治っても、痛いと思う気持ちは一緒だって知ってるよ。
俺に抱かれてたときも、今も。惺は口に出さないけど、痛いって眉を寄せて息を詰めるから。
震えて顔が上げられない俺の上から、惺の無感動な声が落ちてきた。
「そんなもの…」
言いかけるのに、がばっと顔を上げた俺は、たぶん泣いてただろうけど。でも自分のことなんか、気にしていられなかった。
「そんなものじゃないよっ!何言ってんの惺!痛いんだろッッ!」
俺がキレて叫んだら、惺には訳がわからないのか、驚いた顔になっていて。ちょっと躊躇いがちに「痛みには慣れてるんだ」なんて、わけのわからないことを言う。
ああ、もう。
ダメだこの人……何もわかってない。
「馬鹿じゃないのっ!!」
びくっと肩を竦ませた惺の腕を引っ張って、ソファーに突き飛ばした俺は、惺を閉じ込めるように背もたれへ手を突いた。
「な、なおと?」
「慣れるわけないでしょ?!痛いものは痛い、傷が残ろうが治ろうが、心の上げた悲鳴はなくならない!長い時間を生きてきたくせに、なんでわかんないんだよこんな簡単なこと!!」
怒鳴る俺をむっとした顔で見上げた惺は、視線を鋭くするけど。俺は苛立たしいことの方が先にたっていて、同じくらい視線を鋭くしながら惺を見つめる。
「生意気なことを言うなっ」
「言われてもしょうがないじゃん、何もわかってないんだからっ!」
「直人っ!」
惺から突き刺さるような声で名前を呼ばれても、俺は一歩も引かなかった。
だってさ、腹立つじゃん!!
なんで惺はこんなことして平気なの?自分で自分のこと傷つけて、痛みには慣れてるとか、馬鹿なこと言うんだよ。
幸せになれないんならともかく、惺は幸せになろうとしてない。
自分の不幸に溺れて、それが周囲を傷つけてるってことに気づかないんだ。
「…あんた、本気で馬鹿だね」
「っ…!いい加減、離しなさいっ」
「ずっとそうやって生きてきたの?自分で自分のこと不幸にして、僕はこれでいいんだって、勝手なこと言って。周りがそれでどんなに傷つくか、考えてこなかった?なんでそんな、酷いことが出来んの」
俺を睨んでた惺が、苛立たしそうに顔を背けるから。俺はその顎を掴んで自分の方へ引き戻すと、無理矢理唇を重ねた。