「だって惺が、全然わかってくれないんだもん」
「何がだ!何を…っ」
「俺が惺を好きだってことを」
「だからって…こんなことをして、何になるんだっ!」
悲鳴を上げるみたいに叫んでる惺を、見つめた。俺の言うことが少しもわからなくて、混乱してる惺の瞳。
「……。惺、痛い?」
俺はとんとん、と惺の胸の辺りを左手の指先でつついてみる。
驚いた顔になってたけど、惺はそのまま俺の指先が触れた辺りを、自分の手でぎゅって掴んでた。
わかる?惺……痛いよね。
「ねえ、さっき自分で腕を切ったときと、どっちが痛い?」
「直人…」
「俺は自分がどんな目に遭うよりも、惺が辛そうにしてる方が嫌なんだよ。何がとかどこがとか、そういう物理的なことじゃ答えられないくらい、身体中が痛くなる」
ほんとだよ。
痛いように感じるんじゃなくて、本当に痛いんだ。
「だから俺は、自分が幸せでいなきゃって思うんだよ」
「…自分が?」
「そう。…だってさ、こんな痛い想いを誰かがするなんて、絶対に嫌なんだ。…惺が教えてくれたんだよ。覚えてない?」
「僕が…何を…?」
心当たりがないって顔で俺を見てる惺の目元。涙に濡れてるそこを、あんまり汚れてない左手の指先で拭った。
「思いやりっていうのは、相手の心を想像することなんだって。自分がされて嫌なことは、人にしちゃいけないんだって。小さな直人に教えてくれたのは、惺だよ」
思わず微笑んでしまったのは、懸命な視線で俺を見上げる惺と、穏やかな声で話す俺が、逆転してるなって思ったから。
惺はちょっと唇を噛んで、上目遣いに俺を見た。それから、まだ血が出てるのにほったらかしにされてる右手をとって、自分の頬に押し付けたんだ。
「ちょ、惺!汚れるよっ」
「構わない」
「構わないって…俺が構うんだよ」
全然俺の言うこと、わかってないんじゃないの?
惺の綺麗な顔が俺の血で汚れるの、嫌なんだってば。
惺の顔に、俺の血がべっとりついてしまうけど。そんなの全然気にしてないみたいで、惺は俺の手を自分に押し付けたまま、唇を寄せる。
それはびっくりするくらい柔らかく重なって、ふうっと離れていった。
しばらくはそのまま、顔を上げてくれなくて。最初はなんか、鷹揚な気持ちで待ってたんだけど。……どうにも、人間って変わらないみたい。
黙ってる惺と一緒にいたら俺、だんだん、おろおろしてきちゃうんだ。
「…あの、惺?ねえどうかした?…顔上げてよ」
「嫌だ」
やけにあっさり断られてしまって、俺は目を見開いた。
「い、いやって…なんでだよ。お願いだから、顔あげて。俺に惺の顔を見せてよ」
「絶対嫌だね」
きっぱり言うその声は、さっきまで泣いて俺に縋ってたのが嘘みたいな、いつも通りの惺。そうなると俺なんかもう、ただ不安になって動揺して、惺のことで頭がいっぱいになってくる。
ほんと成長しないよね。
「でもあの…ねえ、お願いだから…」
泣きそうになって言葉を重ねてると、惺はふいに顔を上げた。その表情は、なんだか疲れたみたいな苦笑い。
「惺…」
どうしよう。
なんか、今までとは全然違う、あったかい顔で俺のこと見てる。
「…まさかお前に、説教される日が来るとは思わなかったな」
ぼそっと呟かれた言葉に、俺はぶんぶんと首を振った。
「ち、違うよ!俺そんなつもり、全然なかったしっ」
「言い訳するな」
ぴしゃって。撥ね付ける言葉は、聞きなれた台詞。俺は途端にしゅんとなって「ごめんなさい」って謝ってしまう。
そしたら惺は、掠めるようなキスをしてくれた。
「生意気なんだ、直人のくせに」
「な…なんだよそれ…ナツみたいなこと言わないでよ」
「うるさい。ほら、おいで」
掴んだままの俺の手を引いて、惺が立ち上がる。
「…どこ行くの?」
促されるまま立ち上がった俺は、首を傾げて尋ねた。惺はちらりと振り返って、溜め息を吐くんだ。
「手当てに決まってるだろう?どんな御託を並べたって、痛いんだろうが」
馬鹿な子だねって。聞き慣れた言葉は驚くぐらい優しい響きで、俺を包んでいた。
連れて行かれたのは惺の部屋。
久しぶりに足を踏み入れたその部屋は、なんだか懐かしくて、泣きそうになったけど。俺が惺を押し倒したとき以来なんだって思い出して、何も言えなくなった。
でも惺は気にした風もなく、俺をベッドに座らせると、痛みに細かな痙攣を起こしてしまってる右手を見つめてる。
「自分で手を開くことが出来るか?」
「うん…出来ると思う」
「無理はしなくていい。そのまま少し待ってなさい」
部屋を出て行った惺は、すぐに戻ってきてくれた。濡らせたタオルでゆっくり俺の血を落として、ガーゼを当てて傷の上からぎゅっと握ってくれる。