「時間が経っているが、これで血が止まるようなら心配はないだろう」
「うん…」
「一応手当てはするが、診察を受ける方がいいだろうな」
馴染みのお医者さんの名前を上げて、まだ診療時間内だろう、って言うから。俺は慌てて惺を止めた。
「いいって、そこまでしなくてもっ」
「お前…切り傷を甘く見ているな?どんな小さな傷からでも、破傷風や感染症の危険はあるんだぞ?」
じろっと睨まれるけど。俺は頑なに首を振る。
「大丈夫。ほんと、大丈夫だって!」
あの先生、怖いんだよ!自分で切ったなんて知られたら、どんなデカい声で怒鳴られるか、わかったもんじゃない。
今日はさすがに、あの先生の大声を聞けるほど余裕がないから。お願い!って惺に頼み込んだ。
そしたら惺、ふうって溜め息をついたんだ。
「…確かに僕も、今日はあのダミ声を聞く気にはならないな」
「でしょ?!だったら、ね?お願い」
情けなく言い縋る俺のこと、惺は厳しい目で見上げる。
「…明日には必ず行くんだぞ?」
「大丈夫だと思うんだけどな…」
「行くんだ」
きっぱり言われて、俺は素直に頷いた。
惺が傷を押さえてくれている間、手持ち無沙汰だった俺は、傍らに置いてあったタオルで惺の顔を拭う。
「じっとしてなさい」
「でも…汚れてるから…」
気になってしょうがないんだもん。
惺はため息をついて、少し顎を上げると俺のしたいようにさせてくれた。
ゆっくり惺の顔を拭って、タオルを置いた俺はきれいになった惺の顔を見て、ほっと息をつく。
何分か経ってから、惺はそっと押さえてたガーゼを外した。
血の止まった傷を観察するように見てから、救急箱の中を探ってる。その手が取り出した消毒薬に、俺はひくりと頬を引き攣らせた。
あれ……覚えてる。
小さい頃にも何度か、転んだり擦りむいたりした傷の消毒、あれでしてもらったんだけど。……すごくしみるんだ。
「直人?」
「う、うん…うん。平気」
でも俺の様子は、全然平気じゃなかったみたいで。惺はくすっと笑った。
「あ……」
「なんだ?」
「え?!ううん、なんでもないっ」
惺が笑ってる。
俺の顔見て、笑ってる……
「もう小さな子供じゃないんだから、平気だろう?なにしろ僕に説教するくらいだ」
「だから…あれは違うって」
「言い訳するんじゃないよ。本当にお前は、勝手に大きくなってしまって」
「勝手にって、惺が育ててくれたんじゃない」
俺を大きくしたのは惺でしょ、って。拗ねた顔をしたら、惺はちょっと意地悪な顔になる。
「だったら少しぐらい我慢出来るよな?」
「大丈夫だよっ」
「本当か?」
くすくす笑いながらその薬をつけてくれた惺は、やっぱり顔を顰めてしまった俺を引き寄せて、キスしてくれた。
薬がしみることより、惺のキスにどきどきする方が忙しくて、俺はつい頬を緩めてしまって。そしたら惺は引き寄せてた手で、こつって俺の額を小突いたんだ。
「単純だな、お前は」
「だってさ」
「これくらいで痛みを忘れてしまうのか?こんなに深く切っているのに」
消毒した上からガーゼをあてて、きつめに包帯を巻いてくれた惺は、そのまま俺の手を握っていた。
顔を上げずに、じっと俺の手を見てる。
「まったく…時が経つのは、早いな」
しみじみとした声で惺が呟いた。
「惺…」
「あの寒さと空腹に震えて、死にかけていた小さな直人が、この僕に人生の講釈をする日がくるなんてな」
「ごめんてば…いい加減、許してよ」
眉尻を下げてしまう俺に、惺は笑っていた。それから、重く息を吐いて。包帯を巻いた俺の手を開かせると、痣の辺りを撫でてくれる。
「…まさかお前が、同じことを言うとは思わなかった」
「同じこと?」
「僕の幸せを願ってやまない、なんて。あの子の別れと同じ台詞を、こんな長い時を隔てて聞くとはね」
目を細めてる惺はちょっと辛そうだったけど、でも懐かしげな表情だ。
「大事な、人?」
「ああ」
「えっと…最初の人?」
同じ星型の痣を持ってたって言う、一人目の女の人かなって思ったんだけど。惺は違うって首を振った。
「…最初の人は、どんな人だったの?」
「なんだ、気になるのか?」
「気になるよ」
当たり前じゃん。
惺はその人と出会ったのに、まだここにいるんだから。どんな人なのか、その人のこと、今はどう思ってるのか……気になるよ。
でも惺は、俺の問いかけには答えず、不思議そうに「そうか?」って。
「お前は今まで、僕のことにあまり興味を持たなかっただろう?過去を聞いたりもしなかった」
「だって…」
「なんだ?」
「惺が聞かれたくないって顔してたし…俺ほんとに、惺に嫌われたくなくてこの十年の間、必死だったもん」