足元の草がきれいに刈られてるし、視界を塞ぐ木の下枝も落としてあるんだ。
屋敷の反対側に広がってる庭が、整然としたシンメトリックな英国式ガーデンなのに比べて、こっちはまるで森みたい。
その中をじいサマが、迷いも無く進んでいく。あんまりきょろきょろしてたら、子供の頃のように迷ってしまいそうだ。
じいサマから離れないように、後ろをついて歩いていた俺は、行く先に大きな鉄格子に囲まれたエリアを見つけて、驚きを隠せなかった。
こんなとこ、見たことない。
「おいで、直」
じいサマに手招きをされたところに、堅牢な門がある。
その向こうにぽつんと、煙突のある小さな建物が見えた。
「ここ、何?」
「まあまあ、入ってからにしようか」
すごい楽しそう。
門につけてある大きな錠前に鍵を通したじいサマは、入りなさいって、扉を開けると横に移動した。
じいサマの隣を抜けて、門をくぐる。
人の目を避けて作られた、小さな煉瓦造りの家。そこはいま通ってきた暗い庭が嘘みたいに、光が差し込んであったかい空間が開いていた。
「すごい…きれいだね」
「ああ」
「ほっとする感じ。隠れ家みたい」
俺が言うと、後ろにいたじいサマはその小さな家に近寄って行きながら、ぽつりと呟いた。
「…隠れ家だ」
「じいサマ?」
「隠れ家として作ったんだよ。…もう長いこと、惺の逃げ場所だった」
驚いて目を見開いてしまった。
「惺の、逃げ場所?」
「ああ」
じいサマが家の扉を開けてくれる。
あんまり家具がないせいか、中は見た目以上に広くて。揃えてある調度品たちはどれも、これを揃えた人の心遣いが感じられる、落ち着いた雰囲気。
「じゃあ、惺はずっとここにいたの?」
この大きなお屋敷の、誰も知らなかった秘密。何十年もの間に築かれた、惺とじいサマの繋がり。
暖炉の傍に膝をついたじいサマは、俺の問いかけには答えず、手招きをした。
「直、こっちへおいで」
近寄ると、じいサマは暖炉を指差して俺を見上げた。
「火の入れ方を知っているかね?」
「ううん、知らない」
暖炉なんて、テレビで見たことがあるくらいだし。そう答えると、じいサマは丁寧に手順を教えてくれる。
「覚えておきなさい」
「じいサマ…?」
「お前にここの鍵をやるから、この部屋を温かくする手段を…お前も覚えなさい」
そう言って、マッチを手に取った。
暖炉に火が入ると、しばらくして部屋の温度が上がってくる。
初めてだけど、いいねこういう、火の見える風景って。それだけであったかく感じるもん。じいサマは優しい顔で火を眺めながら「薪は来栖が用意してくれるから」って話してくれた。
火がはぜる音とか、ゆらゆらする炎が面白くて、じっと見つめてる俺の横で、じいサマがゆっくり立ち上がる。
「ここの鍵を持っているのは、わしと惺、あとは来栖だけだ」
「そうなんだ…」
「これは、お前のために用意させた。大事にしなさい」
渡された真新しい真鍮の鍵を、大切に受け取る。なんだか三人の大人たちの、仲間に入れてもらえたみたいで嬉しい。
コートを脱いだじいサマは、それを部屋の窓際に置いてある、ゆったりした椅子にかけて、俺を振り返った。
「惺はずっとここにいたわけじゃない」
「じいサマ?」
「ふらりと旅に出ては、何年かすると戻ってくる。…大抵、傷つき疲れてな。そうしてまた、しばらくすると、ふらりといなくなるんだ」
「そっか…」
「わしはただ、待っているだけだったよ」
懐かしげに微笑んで、家の中を見回しているじいサマが、ふいに目を閉じた。
「どんなにわしが愛しいと思っていても、惺がお前では駄目だと言うんだ。仕方あるまい?」
「…うん」
俺も同じように言われて、突き放されそうになったから。ちょっとだけど、気持ちがわかる。
すごいな……じいサマは、あの痛みを乗り越えちゃったんだ。
どんなに辛くても、惺を守ることを選んだんだね。静かな空間を用意して、じっと惺を待っていた。何かを失っては逃げ戻ってくる惺に、あたたかい腕を広げて。
ここは惺を守るために、じいサマが築いた空間なんだ。
俺はもらった鍵を握り締める。大事な役目を引き継いだ気分だった。
「惺が最後にここへ来たのは、お前と出会った日だよ」
「十年前の…今日みたいに、寒い日だね」
「ああ」
俺が惺と出会った十年前の冬の日。
たった一人で消えてしまいそうになっていた俺の命に、惺が手を差し伸べてくれた日だ。