俺は着ていたブルゾンに手を差し入れて、ずっと預かっていた写真を取り出した。
「忘れないうちに、返しておくね」
「役に立ったかね?」
じいサマの渡してくれた小さな額に、写真を戻した俺は、それをじいサマの傍らにあるテーブルへ置いた。
じいサマは愛しげにその写真を眺めながら、ゆったり椅子に腰掛ける。
「まだ持ってたのかって言ってたよ」
「ははは…奴の言いそうなことだ」
「俺とも一緒に撮ってよって言ったんだけどさ…惺に、お前にはまだ早いって言われちゃった」
でも惺は、あの日からまるで置き去りにしていた時間を取り戻すように、俺を手放さなくなってる。
仕事をしてる惺にコーヒーを淹れてあげるのが、最近の俺の習慣になってるんだけど。コーヒー淹れに俺が離れてくのなんて、ほんの少しの時間なのに、それでも惺はすごい嫌みたいでさ。俺が惺の傍へ戻ると、不機嫌そうにしてんの。
惺が仕事してるリビングのテーブルからキッチンなんて、すぐそこなのにね。
不機嫌なまま俺に手を伸ばして、くっつく位置にいるよう、強制する。でもね、惺はそんな自分の行動が、よっぽど不本意みたいなんだ。顔に書いてあるもん。
今までの惺からじゃとても想像も出来ない、甘えるみたいな惺の様子は、やっぱり嬉しいんだけど。……でもさ。
「ねえ、じいサマ…」
「なんだね?」
「惺って昔っから、あんなワガママなの?」
今日は絶対、それを聞こうと思ってたんだ。
情けない声で尋ねる俺に、じいサマは声を立てて笑ってた。
ずっと我慢してたのかなって、思うよ。最近の惺を見てるとね。
親代わりに俺を育てている責任感で、今までの惺はかなり自分を押さえ込んでいたんだろう。
それがなんか、ぱーんって弾けちゃったみたいなんだ。
もう……ほんとにワガママなんだよ!
何か気に入らないことがあると、すぐ俺にやつ当たる。気が乗らないからって言って、自分で誘ったくせにベッドから俺を蹴り出したことも、一度や二度じゃない。
じゃあ仕方ないからって、俺が離れて行こうとすると、惺は不機嫌になって枕とかその辺のものを投げてくるんだ……どうして欲しいんだか。
俺にとって惺が謎なのは、少しも変わらない。
どうしたいの?!って俺が喚くと、自分で考えろって言って、背を向けてしまう。勝手にすれば!って出て行こうとすると、惺は途端に傷ついた顔になる。
……で、慌てて惺の傍に戻るでしょ?
そしたら、してやったりって顔で笑うんだから。
卑怯だよ……惺にあんな泣きそうな表情浮かべられたら俺は、絶対絶対、敵わないんだもん。
俺の話を聞いて笑っていたじいサマは、仕方なかろうさ、なんて言うんだ。
俺の味方はいないの?!
ナツアキに相談したって、アキは曖昧に笑うだけだし、ナツに至っては「惚気なんざ聞きたかねえんだよ!」って怒鳴るんだから!俺の味方だって言ってたくせに!
「じゃあ直。お前はもうお手上げだと、惺を放りだすのか?」
にやにや笑うじいサマに聞かれて、俺は首を振った。
「それは嫌」
「なら、仕方あるまい?付き合ってやることだ」
「そうだけどさ〜」
でも何かないの?ちょっとくらい、惺の弱味も知りたいんだけど。
「俺ばっかり負けっぱなしで、悔しいんだもん」
「ふむ…」
「まだ一言も俺のこと、どう思ってるのか聞かせてくれないし」
毎日のように惺は俺に、好きだとか愛してるんだとか、言わせたがるのに。
惺は?って聞いても「そのうちな」としか返って来ないんだ。
俺の言葉にじいサマは、腕時計を見た。
「予定でもあった?」
「いや…なあ、直」
「うん?」
「ならわしから一つ、面白い話を聞かせてやろうか」
「惺のこと?」
「ああ」
「聞きたい。教えてっ」
小さなスツールを持って来て、じいサマの傍に座る。軽く窓の外へ視線を投げたじいサマは、何かを確認したみたいに、にやりと口元を歪めた。
「惺がお前を迎えに行ったとき、躊躇いもなく名前を呼んだろう?」
「うん。じいサマが俺を見つけてくれたとき、惺に教えたんだよね?」
「ああ…しかしな。わしがお前を見つけ、惺にその存在を知らせたのは、お前たちが出会った半年も前のことだ」
「え…?」
俺のこと、惺はそんなにも前から知ってたの?
目を開いて驚く俺に、じいサマは意地悪そうな笑みを浮かべている。
「惺は半年も前にお前の存在を知って、何度も何度も様子を見に行っていたんだよ」
「……は?」
「お前が学校へ通う様子も、お前が母親と歩いている姿も、惺はずっと見守っていたんだ。そうして直を見に行くたび、同じことを言っていた」