「わしは十分、直を可愛がっているつもりだが?惺、これを気に入らんというなら、置いて行っても構わんぞ。わしが引き取ってやるから、ここで暮らそうか、直」
十年前は俺のこと惺に押し付けたけど、本当は引き取ってやりたかったんだ、なんて。じいサマは意地悪なことを言って、俺の頭を撫でている。そうしたら、俺が何を言うより前に、惺が俺のことをじいサマから引き離したんだ。
「ふざけるなっ」
「せ、惺?!」
まるで子供が、取られたおもちゃを取り返すみたいな態度。
驚く俺と、にやにや笑うじいサマを見てはっとした惺は、手を離したけど。すぐに俺の腕を掴み直して、不機嫌そうに歩き出してしまう。
「帰るぞっ。もう写真は返してやったんだろ!」
「え、でも来栖さんがお茶運んでくれるって言ってたけど…」
躊躇う俺を睨んで、惺は「こいつに三人分、飲ませておけ」なんて言うんだ。
強く腕を引っ張る惺に、じいサマが声をかけた。
「直は置いていかんのか?」
面白がってるじいサマを、惺が鋭い視線で振り返る。
「十年もの間、手塩にかけて育ててやったんだ。いまさらお前なんかに返してやるいわれは無い」
ものすごく不機嫌な顔をして、惺がずかずか歩きだした。
嬉しいんだか、困るんだか。
俺は楽しげな表情で見送ってくれるじいサマに苦笑いで手を振って、笠原邸を後にした。
―――惺と、一緒に。
俺の半歩前を歩いてる惺は、ずっとじいサマの愚痴を零してた。
昔からあいつは態度が大きいとか、いつまでガキ大将のままなんだとか。でも俺は、頬を緩めながら、惺の言葉を聞いてる。
ケンカ友達のことを話す子供みたい。
拗ねた顔をしてるくせに、誰より自分がじいサマのことを知ってるんだって。惺の話は、そう言ってるようにしか聞こえないんだよ。
前の俺なら、じいサマと惺の仲の良さに嫉妬してたかな。でも今はもっと聞きたいって思ってるんだ。
夕暮れの街には少しずつイルミネーションが灯って、すごくきらびやか。その中を歩いてる半歩前の惺が綺麗で、長い道のりも全然気にならない。
惺の頬に光が当たってる。
冷たい空気に晒されてる肌は、寒そうなのに。綺麗な造形の曲線が、彩り鮮やかなイルミネーションに縁取られて、相変わらず俺をどきどきさせるんだ。
惺は俺の気持ちを「思春期の熱病だ」なんて言って、突き放そうとしてたけど。絶対に違うと思うよ。俺はきっと、ずっと惺を好きなままだと思う。
惺を苦しめてきた「呪い」が解けて、いつの日か惺が、俺たちと同じように年を重ねるようになっても。何度惺に、手を離されたって。
きっと、俺の気持ちは変わらない。
重ねた年の分だけ惺の姿が変わっていったら、惺が変わった分だけ俺はまた、惺を好きになっていく気がする。
だってどんな惺でも、俺はずっと好きなままなんだから。
厳しくて俺を子ども扱いするばかりだった惺のことも。
ワガママで俺を振り回してばっかりの、今の惺も。
変わらず、大好き。
「…どうした直人」
「うん?なにが」
急に立ち止まった惺が振り返って、俺を見上げてる。
長い睫が影を作って、メガネのレンズに映る光の中、何度かぱちぱちと上下した。
俺は首を傾げて、そんな惺のちょっと可愛い表情を見つめてた。
「何か言うことはないのか」
「う〜ん…そうだねえ」
「なんだ」
「…惺はよっぽどじいサマのことが、好きなんだなあって。思ってる」
だってこの一時間の道のり、ずっとじいサマのことを話してるんだから。それが愚痴ばっかりでもさ。
「何を聞いてたんだお前は!」
言い返してくるけど、仕方ないじゃん。惺の話って、一歩間違えたら惚気だよ。
「ヤキモチじゃないよ?」
「あたりまえだっ!」
「だって俺は、ずっと惺に可愛がられてるんだもん。ね?」
俺が微笑んで言うと、惺はどんどん不機嫌な表情になって、いきなりがしっ!って俺の足を膝で蹴ってきた。
「痛った!なにすんのっ」
「偉そうなことを言うからだ」
「なにそれ…どこが?!」
「百年早いんだバカモノ」
ぷいって。ふくれた惺は、俺を置いて歩き出してしまう。
マンションはもう、目の前だった。
振り返りもせず、すたすた離れてく惺を追いかける俺は、マンションのエントランスでやっと惺に追いついた。惺が足を止めてたからなんだけど。
惺の姿を見つけ、蹴られた足をさすりながら、急ぎ足で近づいていく。
「あ…こんばんは」