列挙される事柄は、知識として理解できているのと、目の当たりにした後で考えるのとでは随分と違う。
神妙に頷く俺を抱きしめてくれた惺は、そっと腕をほどくと、俺の右手を取って、自分の頬へ押し付けていた。
「そうだよ…しかもこの国では、届けを出して母子手帳を受けなければ、病院で産むことすら出来ない。生まれた後も出生届を出し、新生児を連れて何度も医師の元へ通うんだ。…どうしてそんな面倒なこと、愛してもいない子供のために出来る?」
「惺…」
「泰成は産院からの情報で、お前を見つけたのだと言っていた。ほくろ一つないはずの新生児に、きれいな星型の痣があって、よく覚えているのだと。お前を取り上げた産婦人科医は言ったそうだ」
「俺を…覚えててくれたの?」
惺はゆっくり俺の額に口づけてくれた。それから、見たこともないほど穏やかな顔で微笑んだんだ。
「確かにお前の両親は、お前に辛く当たっていたようだ。思うように行かない毎日の中で、自分の弱さに負け、全てをお前のせいにするようなことも言っただろう。しかも彼らは最終的に、自分の選んだ道から逃げ出してしまった」
「…………」
「そのせいでお前がどんなに辛い思いをしたか、あのとき駆けつけた僕が誰より知っている。…でも、直人。お前が生まれてきたとき、その場にいた誰も、お前をいらないなんて思っていなかったんだ」
「…せ、い…おれ…」
「愛されて、望まれて、この世に迎えられたんだよ。直人…お前は、素直な人になるよう、願いを込めて直人と名づけられたんだろう?」
自分が泣いてることに、気づいてた。
惺の言葉が、俺をずっと縛り付けてた痛いものを、ひとつひとつ解いていってくれる。そうして俺は、ずっと忘れてた父さんと母さんの笑った顔を、ようやく思い出せていたんだ。
「…直人」
「うん」
「なおと」
「うん…うん、惺…」
どうしよう……なんか、胸が痛いよ。
惺……惺、もっといっぱい俺の名前呼んでて。ここにいて、俺を抱きしめて直人って呼んでいて。
惺の胸に顔を押し付けて、細い身体を抱き寄せると、惺は俺の頭を撫でてくれた。
ああ、そうだね。
確かに俺、母さんにも父さんにも、そうして頭を撫でてもらったことがあるよ。
「お前がそれほどまで、自分という存在に傷ついているとは、思わなくて…もっと早くに話をしていれば良かったな」
首を振って、惺を見上げる。
惺はちゃんと俺のこと、見ていてくれたんだ。たった八年で、惺と同じように孤独を味わってしまった俺のこと、心配していてくれたんだね。
まあるく満たされて生まれた俺の心は、寒い冬の日にざっくり抉られ、半端な形になってしまったけど。
でも惺がたくさん気持ちを傾けて、少しずつ俺の心を埋めてくれたから。
ちゃんときれいに、治ったんだよ。
「…俺にも、出来るかな…」
「うん?」
「惺がしてくれたみたいに…惺のなくしたもの、俺にも拾えるかな…」
「直人…」
たくさん傷ついて、呪いを解きたくないんだと、優しい未来に背を向けた。
じいサマが言ってたよ。
自分の罪を悔いる者は、それだけで十分な罰を受けているんだって。惺はもう許されるべきなんだって。
どんなことをして、惺が自分自身を許さなかったのか、俺にはまだわからない。惺のなくしたものは、俺の知らないものばかりだ。
でもいつか、わかるかな。
いつか惺が辛かった過去を話してくれるとき、ちゃんと受け止めていられるようになりたい。
「前を見て歩くから」
「…………」
「俯かないで、顔を上げていられるようになるから。もう少し待ってて」
悲しいことも、苦しいことも。逃げずに向き合うよ。
惺の隣で笑っていられるように、必ずなるからね。
「待っててくれる?」
尋ねる俺に、惺はびっくりした顔をしていた。それから、ちょっと意地悪な顔になったんだ。
「生意気な」
「まだ子供だもん」
だからもう少し、甘やかしててよ。
「可愛がってくれるんだよね?」
さっきじいサマのところで、慌てていた惺を揶揄するように、言ってみる。怒るかな?って、思ったんだけど。惺はじいって俺を見つめて、ふっと口元を緩ませた。
「直人は僕に…可愛がってもらいたいんだな?」
「へ?」
何を言い出したのかわからず、首を傾げる俺の前で、惺はゆっくり眼鏡を外すと、それを乱暴にベッドへ放り出した。
「そうだな。今までの僕の態度は、可愛がっているというには程遠かったな」
「なに…どういう意味?」
すいません、惺さん…なんか笑顔が怖いんですけど?
俺は嫌な予感がして、少し惺から離れようとしたんだけど。惺は俺を押さえ「じっとしてなさい」って言って、その場に膝をついたんだ。
なに?惺…何するの。