戦乱のさ中にこの国へ戻ってきて、政治の中心が東へ移り鎖国が完成するまで、百年足らず。それは朔(さく)にとって、あっという間の出来事だった。
鎖国は兄弟達と別れた場所へ戻れないことを意味していたし、彼らがもしこの国にいなければ、当分帰ってくることが出来ないと言うこと。会うつもりはないけれど、会えないという揺るがない事実は、朔を少しだけ淋しくさせる。
それでも変わらず人々は生き、死んで、朔を置いていく。気が遠くなるほど長い、時間の中に。
徳川家の治世に慣れた人々は、この世が永久不変のように信じるけど。長く世界を見つめている朔には、恒久的な治世者の存在など、ありえないとわかっていた。
だからただ、目を閉じる。
平穏が続けば続くほど、時代の境目に血が流れる。しかし朔一人が知っていたところでどうなることではなかったし、人々の前に立って声を上げることが、どれほど危険な行いかよくわかっていた。
朔はただ、待っているだけだ。
自分の時間が動き出し、そして永遠に止まってしまうのを。
人々が喜び、謳い、悲しみ、嘆く。この大きな世界から解き放たれることを、じっと待っている。途方もないと思われた運命は、あともう少し。
千夜を待つ朔の、遠い終わりまで。
痛みも苦しみも、あと半分で終わる。
朔は自分がつけた岩壁の傷に指を這わせ、溜息を吐いた。
遠く暮れ六つの鐘(午後五時頃)を聞いてから、随分経つ。真っ暗になった世界に月を見上げ、そろそろ亥の刻(午後十時頃)だろうかとあたりをつけた朔は、ようやく周囲の暗さに気づき、行灯(あんどん)に火を灯した。
僅かな灯りに目が慣れてくると、寒々しい岩肌の圧迫感が押し寄せてくる。ほっそりした身体が凭れかかっているのは、古い鉄格子。
いつ作られたものなのか、見当もつかない牢獄。長く風雨に晒され、誰も使用していなかったことは、錆び付いた鉄柵が語っている。しかしなお、長い時間を経ても堅牢な檻。
洞窟の奥に作られている牢獄は、その洞窟の入り口が見えないほど深くにある。出口を遮る扉つきの鉄格子。反対側には朔の寄りかかっている断崖に面した鉄格子。下には遠く、森が見える。四方のうち二辺に鉄格子を嵌め、他は天井までもが岩肌の覆う空間。
ごつごつした岩と鉄格子に囲まれた牢獄など、普通の神経ならひと月も経たないうちに、心を病んでしまうだろう。だが朔は、長い長い時間の中で、囚われの身になる状況にも慣れてしまっていた。こうして鉄格子の中から空を見上げるのは、この檻が初めてじゃない。地下牢でなかっただけでもましな方だ。
閉じ込められたときの状況を考えれば、町からさほど離れていないはず。ここへ朔を閉じ込めている男は、気を失った朔を抱えてここへ来たのだから。せめて途中まで籠を使っていたとしても、大人の足で半日も歩けば見慣れた宿場町にたどり着くのだろう。
よくもまあ、こんなところを知っていたものだ。人々に忘れ去られてどれくらい経つのか知らないが、ここはあまりにも都合よく住環境が整っている場所だった。
遠い過去、この牢獄に捕らわれた人物はどんな身分の人だったのだろう。おそらくここは、身分の高い者を人知れず拘束するための場所。そうでなければ、これほど手の込んだ作りにはすまい。
閉じ込めた者を恐れるかのように、世界から切り離された檻。それでもどうか不自由をしてくれるな言いたげに、そこここに心配りが見える。
壁面の高くなっている場所には人の手が入り、苦もなく上がることが出来る。鉄格子の向こうはどうなっているか見えないが、洞窟側も断崖側も、多少の雨なら入ってこないようになっているし、大雨になったとしても水捌けが良く、牢内に雨水が溜まってしまうようなこともなかった。しかも一番奥には、こんな厳しい環境だというのに温泉が沸き、すぐそばを川が流れている。細工を施して湯に引き込まれている小さな川は、主流を厚い岩壁へ導かれていた。水流がそこをくぐれば、断崖からささやかな滝になって、森へ落ちていく。
水周りのしっかりした牢など、聞いたことがない。その上、断崖側からは日の光が、月の光が差し込み、思うほど暗さを感じないのだ。