もちろん日の届かない場所には、朔がしているように行灯でも灯さなければ、己の指の先さえ見えないけれど。
菜種油の燃える香ばしい匂いが、鼻をくすぐった。朔は監禁されているにも拘らず、魚油の倍もする高価な油を、惜しげもなく与えられている。ここへ拘束されるまで菜種油で光を得る生活など、想像したこともなかったくらいなのに。……しかしまあ、確かにこんな洞窟で魚油など燃やせば、四半時(しはんとき)もしないうちに咽て胸が悪くなるだろう。
鉄格子さえなければ、朔など住むのに充分な設備だと思えてしまえるような牢獄。
片方は暗闇。
片方は断崖。
月明かりだけが頼りの真っ暗な世界に背を向け、蹲った朔は自分の肩を抱いた。岩壁の傷は、少しずつ運命の日を数えている。
千夜を数えるには、あと半分。
朔の背中に刻まれた痣は、もう消えかけているのだろうか。
細い身体を自らの腕で抱き締める朔は、また同じ格好になってしまっている自分に、溜息をついた。この仕草は一人になってからの癖だ。認めたくなどないが、きっと淋しいのだろう。
だが孤独を選んだのは自分だ。
兄弟から離れ、一人で世界をさ迷うことを提案したのは、朔自身。だからこそ根っから自分に厳しい彼は、自身に後悔など許さない。しゃんとしていろと言い聞かせる。
それでもこうして待ち人が来ず、運命の最後を一日延ばしてしまった夜は、辛い。
耐えろと自分に囁き、朔は手のひらに爪を立てて拳を握り締めた。紺桔梗(こんききょう)の袷(あわせ)にぽたぽたと血が落ちて、黒い染みが出来ていく。朔の視線がその染みに向いている間に、痛いだけの手を開けば案の定傷も癒えて。
赤い舌が白い手のひらを舐めれば、傷など……どこにも。
――痛いよ!
ふいに声が聞こえたような気がして、はっと顔を上げた朔は、ありえない想像に苦笑を浮かべた。ここには誰もいない。そんなことはいまさら、わかりきっていることなのに。でも声が聞こえた様な気がして……聞こえたなら、その姿がどうしても見たいと。心だけが浮き足立った。
もちろん暗闇に、朔の思い浮かべる姿はない。
傷が塞がり治るのだとわかっていても、朔の血が流れれば自分まで痛いのだと言って、泣いていた弟。
自分よりずっと淋しがり屋の弟を思い出してしまったら、どんなにもう平気だと言い聞かせていても、弱い心の奥がじくりと痛んでしまう。
朔の背中には月をかたどった痣があるが、これは生まれた時からのものではない。
呪いを受けたとき、弟の首の後ろには太陽の痣が、兄の腰の辺りには星の痣が、まるで三人の行いを責めるように、おぞましく黒々と現れた。
辛そうに眉を寄せて、朔の痣を見つめていた兄。弟は二人の兄の心を少しでも軽くしようとでも言うように、明るい声を出していた。
――朔兄のは月なんだ。なんか、朔兄っぽいよな。関係あるのかな?
笑って。
指先が震えるほど怯えているくせに、弟は笑顔で朔の痣に触れていた。
呪いの刻印を受けることは、最初から知っていた。たくさんの命を救うために、誰かがやらなければならないのなら、自分がその呪いを受けようと。立ち上がった兄に付き従った朔と、弟の晃(こう)。
兄は最後まで自分達がついていくことを認めてくれなかったけど。晃が明るく笑って、一人より三人のほうがいいよと兄の手を握り締めたとき、覚悟を決めてくれたのだ。
三人の目に見えぬ犠牲で人々は救われ、大きな感謝で兄弟を迎えてくれた。神の様に崇められる事態に、兄などは随分と居心地が悪そうだったけど。こんなにも人々が幸せそうに笑ってくれるなら、自分達のしたことはけして無駄じゃなかったと、朔たちも喜んだ。
……ただ、死ねないという苦痛が、三人の想像を超えていただけだ。
三人の運命を決めた痣が彼らに与えたのは、老うことなく死ぬこともないという、単純なもの。