【君に逢いたくて〜弐〜】 P:01


 朔(さく)が圭吾(けいご)に出会ったのは、一年と半分くらい前になる。

 朔はここ数十年、運命の相手を探すことにも、生きることにも疲れ果てていた。
 もしかしてそんな相手など、いないのではないかと疑って。自分が解放されることなど永遠にないのではないかとさえ思えて。
 人里を離れ、人目を避け、まるで隠居でも決め込んだような生活。山から山、森のより深くへ。誰にも会わないよう移りながら、ぼうっと時の流れに身を任せていた。
 食べなくても自分が生きていけることを知っていた朔は、気か狂うほどの空腹に耐えかねたときだけ、ほんの少し野菜や木の実を食べるくらいになっていく。どうせ死なない自分が、懸命に生きる命を無駄に散らすことはないと、肉を食べることはもっと前から嫌っていたのだけれど。
 そのせいか、もとより色が白くこの国の者とは思えない肌は、透き通るようになっていて。しかしそんなことも、傷も負わなければ肉付きさえも変わらない、髪や爪が伸びるだけの朔には、思い過ごしもいいところだったろう。

 ふらりと気紛れに町へ出るのは、たいてい熱を持て余した時。
 心は疲れ果てているはずなのに、いや、だからこそなのか、時折人肌が恋しくて頭の中が真っ白になる。
 誰でもいい、誰かに優しく労わってもらいたい。兄がしてくれたように頭を撫でて欲しい。弟が見せてくれたように、誰かに笑いかけて欲しい。そんな時はいつも、ふらふら街を歩き、声をかけて来るなら相手が誰でも、男でも女でもついて行った。
 朔の容姿なら、相手には事欠かなかったから。



 あの日も、そんな一日。
 何も考えられなくなって、淋しくて気が狂いそうで、朔は淡い色の絽(ろ)の着物に袖を通し、町をふらついていた。
 ――朔?お前さん、朔だろう?
 どうしたの?と笑いかけ、声をかけてきた男。背の高い遊び人風の男は、見たことがある者のようにも思ったが、名前も思い出せなかった。
 ただ、誰でも良かったから。
 久し振りに名前を呼ばれたというだけで、朔は何も言わず甘えるような仕草で、彼の袂(たもと)を握り締める。
 この男に会ったのは、そう何年も前というわけではなかったのだろう。彼は変わらぬ朔を不審がることもなく、嬉しそうに笑った。
 ――相変わらずだねえ、お前さん。
 顔に似合わず大胆なんだから。揶揄しながら肩を押す男に連れられ、近くの茶屋に入って行って。
 その茶屋は、もとより逢引のためのもので、料理を供するためのものではない。未亡人や、その相手をするつばめ。人目を憚る者たちが、昼日中でも、薄暗くなってからでも、ただ肌を重ねるために部屋を借りる。男は勝手知ったる様子でとんとんと二階へ上がり、適当な部屋へ入って朔を座らせた。
 名前さえ覚えていないのに、やはり馴染みの男だったのだろう。彼は朔が言葉にして頼んだりしなくても、扱いを心得ていてくれた。終始優しく髪を撫で、笑いかけてくれる。優しい声に身を浸し、熱いもので身体を貫かれ、掠れるまで声を上げて。夕闇が部屋を暗くする頃、朔はようやく満たされ、何の未練も見せずに男の肌から離れた。

 ――陰間(かげま)なんざ十五、六が限度だなんて言うけどさ。そいつらきっと、お前さんを見れば目が醒めるだろうねえ。

 名残惜しそうな素振りで朔の髪に触れた男が、のんびりと話しかけてくる。あなたが変わっているんでしょう?こんなとうの立った男を珍しがって抱くんですから。朔が言うと、男はとんでもない、と笑っていた。
 朔が立ち上がると、もう彼は朔に触れようとしなかった。色の白い身体が小袖をまとってしまう間も、けして止めようとはしない。遊び慣れているのだろう、引き際を心得ているようだ。もしかしたらこの茶屋で、婦人たちの相手をすることででも生計を立てているのか。
 ごろりと布団の上へうつ伏せに身を投げ出し、たばこ盆を引き寄せて煙管(きせる)に火をつける。まるで朔への興味など失ってしまったかのよう。
 朔は男の態度など気にもならなかったが、せめて部屋を出る前に、一声掛けた方が良いのだろうかと振り返り……彼の背中に目を止めて、息を飲んだ。
 ――そっか、前はなかったね。
 楽しげな声。きっと男には自慢のものなのだろう。確かに朔も、心から見惚れた。彼の背中に咲き誇る、見事な牡丹。
 ――いいだろう?
 ――ええ…素晴しいですね。
 ――気紛れな彫り師でさ。