腕を押さえられ、身体を抱きこまれると、さっきまで熱い時間を過ごしていた朔の体はびくりと震えてしまう。それに気付いた圭吾は、にやりと口元を歪めた。
「へえ?」
残忍な笑み。今度こそ恐怖で震え上がった朔に、圭吾は身体を押し付けてきた。
「俺はそれでもいいんだがな」
「馬鹿なことを…!」
「暴れなさんな。名を聞いているだけだろう?俺は圭吾と言うんだが…ああ、名を聞いてもしかたねえか。ちっと付き合いな」
「やめ…離して!」
「悪いようにはしねえから、おとなしく…」
まだ言葉を継ごうとしていた圭吾の一瞬の隙を衝いて、朔は彼の大きな手に思い切り噛みついた。
「…ってえ!てめえ、人の商売道具に何しやがる!」
突き放されるのは、計算のうち。よろける足を叱咤して、朔はそのまま大通りに転がり出た。素性のばれる危険があるが、この際やむを得ないだろう。相手も確かめずに手近な人物の袖を掴み、顔を上げる。
「あれ…朔?」
「あなたは…!」
さっきまで、朔の身体を抱いていたあの牡丹の男だ。ちょうどいい。朔は少し後ろを振り返り、男に縋りついた。
「どうしたの」
「助けて下さいっ」
「…はあ?」
「いま、得体の知れない男に…」
追われて、と。まさにそう言いかけていた朔を追って、圭吾が姿を現した。びくっと怯える朔の肩を、男がとんとん、と優しく叩いてくれる。しかし彼は、圭吾の姿を見ると目を見開き、笑った。
「おう、先生。仕事帰りかい?」
圭吾にかける言葉は、知り合いのそれ。今度は朔が驚きに目を見開く番だった。
「なにお前さん、先生と知り合いかい?」
朔を見下ろして、笑っている。考えるまでもない。たとえ遊び人だとしても、あれだけ派手に彫り物を入れているのだから、この男が堅気の人間ではないことは明からだった。
――しまった!
この男だって、役人には会いたくない類の人間だろう。しかも、圭吾と知り合い。朔は咄嗟に掴んでいた袖を離し、走り出そうとしたけど。
「悪ぃ!そいつ捕まえてくれ!」
「…は?そいつって、朔のことか?」
男はよほど機転のきく人物なのか、圭吾の言葉を把握するよりも早く、離れようとしていた朔の肩を抱きとめた。
「離してくださいっ!」
「いやあ…悪ぃなあ、朔。俺ぁこの方に恩のある男なんだよ」
苦笑いを浮かべる男。言葉から、自分よりも圭吾を優先するのだと気付いても、もう遅かった。迂闊だったと朔が眉を寄せたとき、追いついた圭吾の着物が視界を掠める。
「…っ!」
顔を上げるまでもなく、鳩尾のあたりに強い痛みを感じて。視界がすうっと暗くなった。
「なんだなんだ、乱暴だなぁ。朔〜?おーい、大丈夫か〜?」
可笑しげな声を最後に、朔の意識は途切れていた。
気がついたのは、真っ暗な牢獄の中。
ぽうっと灯った行灯(あんどん)の明かりを頼りに目をしばたかせると、自分の上に馬乗りになっている男がいた。……圭吾だ。
彼は驚きに目を見開き、まるで異質なものを見るような表情で、朔を見下ろしている。
――ああ…この、男も…
馴染みのある表情だ。吐き気がする。
どうして人間という生き物は、進化しないのだろう。みんな同じだ。朔の身体が傷つかないものだと知るや否や、こうして気味悪そうにするか、興味深そうに好色な色を浮かべるか。どちらかしかない。
「気味が悪いなら、私を放してください」
朔の声に眉を寄せた圭吾は、探るように朔を見つめていた。
「どうなってんだ、何故こんな…」
圭吾は朔のこめかみの辺りに触れていた。目の前まで手を引き、じっと彼が見つめるその指先には、朔の血がべっとりとついている。
「あなたが知る必要はありません。そこをどいてください」
「傷が、治るのか?」
「試したんでしょう?」
あなたの手を汚しているのは、私の血なのでしょうと。侮蔑の混じった言葉に、圭吾は嫌そうな溜息をついていた。
「怪我をさせようと思ったわけじゃねえよ」
「…………」
「なんだ、疑ってんのか?あんたを運んだときに、ぶつけちまって切れたんだ。人の血ぃ見て喜ぶような趣味、持ち合わせてねえからな」
「…なら、私を解放してください」