朔は同じ言葉を重ねるが、何事か考えているらしい圭吾に、届いている様子はなかった。
「もしかして、あんたなのか…?」
「?…なにを…」
「そうだ、あんたに間違いねえ。俺はてっきり、あんたの姉さんか何かかと思ってたんだが…」
「仰ることが、わかりません。私に姉はいませんし、あなたのような知り合いもいません」
苦しげに顔を歪め、圭吾から目を背けようとする朔の態度は、彼の癇に障ったらしい。視線がすうっと鋭くなった。
「俺のような知り合いってなあ、どういう意味だ」
「…あなたのように、残酷なことをする男など。私は知らない…」
大金を持って、血の匂いをさせて、大店のご主人が不幸にも殺されたというその時に、町をうろついていた圭吾。確かめなくてもこの男が、商家の主人に対して残虐極まりない犯行に及んだ男だということは知れていた。
人々の口に上っていた話では、一緒に殺された丁稚は年端も行かない子供だったというではないか。弟を可愛がっていたせいか、朔は子供に手を上げる手合いが一番嫌いだ。
あの牡丹の男のように、流されるまま生きる遊び人風情の者ならいい。人を殺め、金を奪って、そこにいたというそれだけで、子供にまで手をかける。畜生同然の行い。そんな男、言葉を交わすのも汚らわしい。
嫌悪感に唇を噛みしめる朔を見つめ、圭吾はむっとした表情を見せたかと思うと、途端に笑みを浮かべた。
「あんた、朔っていうんだってな?」
「…………」
「生きるのが下手だなあ、朔?こんな状況で、言っていいことと悪いことの区別もつかねえか。…あんたどうやら傷を負わねえどころか、年さえ取らねえんだろう?」
ひた隠しにしていることをあっさりと暴かれ、朔の顔色が変わった。傷の事だけならともかく、どうして老いを知らないことまで?青ざめる朔の両手を固い岩に押さえつけ、圭吾は言葉を重ねる。
「だとしても、なあ。ここがどこだか分かるかい?あんたのその細腕で、俺を殴り飛ばして逃げることなんか、出来るかねえ?」
「…なに、を…」
「別に俺は、あんたをどうこうする気はなかったんだがな。…気が変わった」
「…やめっ!」
悲鳴を上げる朔の、陶器を思わせる白い頬を圭吾は思い切り打ちつけた。
「っ!」
「馬鹿だな、あんた。自分で地獄に飛び込んだんだ。恨むなら自分を恨みな。俺の気が済むまで、あんたにはここにいてもらう」
圭吾は朔の着物を乱暴に剥ぎ取り、唇を押し付けてきた。身体が傷つくのも構わず、死に物狂いで抵抗する朔は、あっというまに身体を縛り上げられ、気を失うまで何度も犯された。
最悪だった、圭吾との始まり。
朔が圭吾の痣に気付いたのは、翌朝のことだ。町で声を掛けられたとき、長さも揃えず中途半端に切った髪を下ろしていた圭吾の、その首筋は見えなかったから。
……逃げる理由が、奪われた。
ここにいなければ、死ぬことすら出来ない。朔はもう、圭吾のそばを離れることは出来ないのだ。
絶望の中で、自身に深く刻み付ける。
圭吾の腕を振り払い、解呪の機会を手放すには、もう疲れ過ぎていた。
兄がしたことの意味を、いまさらながら心底理解した。兄の器量の大きさに、泣きたくなるほど胸が熱くなった。
彼は弟達のために、楽園を手放したのだ。いや、弟達のためだったからからこそ、出来たのかもしれない。誰かのために泥を飲むことは出来ても、自分のためにそうすることはあまりに辛い苦行だ。
傷ついて傷ついて、苦しくて死にたくて。でも誰か愛する人がそばにいてくれるなら、耐えられる。兄は朔と晃(こう)がいたからこそ、傷みを耐えてくれた。
いま孤独の中にいる朔が、耐えることなど出来るのだろうか。……出来るはずも、ない。
ここを逃げ出してしまうのは簡単だ。でもそれは、これからも気が狂うほど長い時間が続くことを意味している。
楽しそうな顔もせず、無表情に朔を犯し続ける圭吾を、泣きながら見つめた。諦めるのは簡単なことだと、自分に言い聞かせていた。
何百年も生きてきたのだ。
数百年の孤独に耐えたのだから。
きっと、乗り越えられる。あとたった千夜ここにいればいい。それだけのこと。