着物はどれも、買ってきたときに一度袖を通し、そのまま圭吾に抱かれてしまえば、ほとんどが役目を終えてしまう。
朔は行李の中から、絹で出来た藤紫の長小袖を取り出した。
柔らかな肌触りは、これが破格の品物だということを教えてくれる。唯一これだけは女物で、引きずるほど裄が長い。どうせ圭吾のことだから、どこかの女性から奪い取ってきたものなのだろう。……きっと、その女性を殺めて。
そう考えるとつい震えてしまう指先を一度だけ握り締め、長小袖を手に取って圭吾の元へ歩み寄る。彼はまた月を見上げ、煙管を咥えていた。
「あの…これで、宜しいですか…?」
小さく呟いた朔を見上げた圭吾は、ほんの少し頬を緩めた。
「たまには自分で喋るんだな」
「…………」
「で、黙んまりか。…まあいいさ。それ羽織って、髪を下ろしな」
言われるままに袖を通し肩へ羽織ると、長い絽の裾が岩肌に落ちた。細い紐で結っていた髪を解いた朔は、圭吾が自分に何をさせたいのかわからなくて、ただいつもと同じようにじっと黙っている。
「少し離れてくれ。…ああ、そこでいい。そこに立ってろ」
圭吾から少し離れたところで足を止めた朔は、どうしても彼が何を考えているかわからず、困惑した表情で立ち竦む。
淡い藤紫の肩に、朔の優しい色をした髪が落ちて、よく映えていた。
圭吾は睨むような視線を朔に注いでいる。何かを考えているような、それでいて何かを責める様な視線。
あまりの恐ろしさに朔が身体を抱き締めると、手を下ろせと低い声が飛んでくる。びくっと肩を震わせ、言われるままに従った。
いつまでこうしていればいいのか。圭吾は相変わらずの無表情で朔を見つめたまま、煙管を吸って酒を飲んでいる。何度もまばたきを繰り返す朔が、いい加減凍りついた様に動けない身体を痺れさせていると、圭吾が急に立ち上がった。
「…そのまま後ろ向いてろ」
何を、される?
一体今日は…どんなことを…
怯える朔に近寄った圭吾は、淡い色の長い髪をかき上げた。いつから手にしていたのか、銀細工の簪(かんざし)で器用に朔の髪を結い上げ、留めてしまう。
晒された首筋の後れ毛をそっと指で撫でると、震えっぱなしの朔に気付いたのか、彼は苦笑いを浮かべた。
「そう怯えられると、何か悪いことでもしているみたいだな」
「…っ…!」
いまさら、何を。
朔を攫ってきて閉じ込めているくせに、この男は何を言っているのか。
僅かに身体を振り返らせ、悔しそうに朔が睨みつけると、圭吾はひょいっと片眉を上げた。
「へえ?」
「…………」
「そういう表情、久しぶりに見たな。あんたにはそういう顔が似合ってるよ。ずっと大人しくしてるが、そうそう大人しい質でもないんだろ?町で会った時は、ぎゃんぎゃん喚いて暴れたもんなあ」
苛立って、ぷいっと顔を背ける朔の後ろで圭吾が笑っている。やけに楽しそうな声だ。
「たまにはそうやって、拗ねててくれても構わねえぜ?そそられる」
からかう様なことを言い、圭吾は朔の首筋に口づけた。
頭に血の上った朔が咄嗟に身を捩ると、振り上げた手が思わず彼の頬に当たってしまった。まるで頬を張るような事態になってしまって、ぎくっと固まってしまった朔の視線の先。……圭吾は、今までの穏やかさを一転させた。
強い力で朔を鉄格子のところまで引きずって行き、立ったままの状態で冷たい鉄柵に押し付ける。乱暴な圭吾の行動に、髪を止めていた簪がかしゃんと小さな音を立てて落ちてしまった。
「俺に逆らうな」
低い恫喝。
「あんたのきれいな顔が歪むのは、構わねえさ。怒りでも、悲しみでも、快楽でもな。だが俺に逆らうことは許さねえ」
先刻まで朔が髪を結っていた紐を取り上げ、細い両手を鉄格子に押さえつけるや否や、素早く頭の上に縛り上げてしまう。冷たい鉄が身体を責める痛みに、朔は顔を顰めた。
「言いたいことがあるなら言えばいい。止めて欲しけりゃ止めろと言いな」
「…止めて、下さい」
消えてしまいそうに小さな抵抗の声。圭吾は口元を歪める。そういう素直な態度が余計に圭吾を付け上がらせるのだと、朔は気づいていないのか。
「嫌だね」
「っ…!」
「言えとは言ったが、聞いてやるとは言ってねえだろ?」