【君に逢いたくて〜参〜】 P:06


 しかし、ここを一度でも出てしまったら、もう二度と自分の足では戻って来られないような、圭吾を待てない様な気がして、足が竦んでしまう。そんな朔を察しているのか、夕刻に来るときも朝帰る時も、桜太は一人だ大丈夫だと、気丈に微笑んで見せてくれる。
「朔!」
 姿を現した桜太は今日も明るく笑って、朔の胸に飛び込んできた。
「ただいま、朔!」
「…おかえりなさい」
 どうにも慣れない言葉。困ったように笑う朔を見上げ、ちょっと眉を寄せる桜太は、それでもすぐに笑みを浮かべる。
「今日ね、平ちゃんとこのおばさんが、南瓜をくれたんだよ。すごいの、こんなおっきいの!」
 こんな、と身振り手振りで一生懸命朔に話しかけてくる。良かったですね、と微笑んだ朔は桜太の小さな手から、食事の入った包みを受け取ってやった。
「朔、南瓜好き?」
「好きですよ。桜太の作ってくれるものはいつも美味しくて、とても好きです」
「良かった。あのねえ、皮が硬くてね。ぼく出来ないから、おばさんが剥いてくれたの。一緒におっきい鍋で煮ようって。そしたら名主さんのところの人が、小豆と一緒に煮ると美味しいよって」
「小豆?…小豆と、南瓜ですか?」
「うん。朔、食べたことない?」
「…ないですね…美味しいんですか?」
 味が想像できずに眉を寄せる朔の前で、桜太は自慢げな笑顔を見せた。
「美味しいんだよ!ぼく味見したもん!ねえねえ、食べよう?本当に、すごく美味しいから!」
 朔が包みを開いてやるのが、待ちきれないとでも言いたげにはしゃいでいる。

 桜太の話からわかったことは、とにかく圭吾と桜太が村の人々から嫌われてはいないらしい、ということだ。この村はとても平和で、村方三役も人々に尽くし、とくに今年は豊穣だったのだとか。男一人で桜太を育てる圭吾を心配して、周囲の人々はなにかと世話を焼いてくれているらしい。

 包みを開き、茶を淹れて。手を合わせた朔は、期待に満ちた桜太の視線をくすぐったく感じながらも、その南瓜に箸をつけた。
「…ね?美味しいでしょ」
「本当ですね。甘すぎなくて、美味しいです」
 朔の言葉を聞き、桜太はぱあっと顔を輝かせた。
 確かにその煮物は、もっと甘いのではないかという朔の予想を裏切って、しっとりと深い味わいだ。ほくほくとした南瓜に、歯ごたえのある小豆はことによく合う。
「兄ちゃんも南瓜好きでね、ぼくが煮たら絶対におかわりするんだよ。それで、お酒が足りないって。結局はご飯終わっても、ずーっとお酒飲んじゃうの」
 ぱくぱくと、口元に箸を運びながら桜太は圭吾の様子を語る。どんなに酒を飲んでもまったく酔わない圭吾のことを、周囲の人々は呆れて見ているのだと。誰が飲み比べをしても、けして敵わないのだとか。
「ぼく兄ちゃんが大好きだけど、みんなも兄ちゃんのこと好きなんだよ。朔も?」
「え…?」
 唐突な問いかけに、朔はうろたえた。
「…朔?」
 まさかそんな、困らせると思わなかったのだろう。桜太は不思議そうに朔を見上げる。
 返答に詰まって。
 桜太を悲しませたくないなら、嘘でも圭吾を好きだと答えるべきなのだろうが。一瞬身体を走った痛みが、朔を正気に返らせてしまう。
「…朔?どうしたの?」
「い、いえ。ほら桜太、ご飯粒が付いていますよ。しっかり食べなさい」
「うん、ごめんなさい」
「お米を粗末にしてはいけませんよ」
「はあい」
 桜太の口元から付いていた米をとり、その指先を躊躇いもなく自分の口へ運んだ朔は、まるで弟にしてやっていた様なことをしてしまった自分にびっくりして、思わずしまったと言う表情になったけど。見ていた桜太は本当に嬉しそうな顔で、朔を見上げている。
 二人は顔を見合わせ、笑った。

 桜太が朔の元を訪れるのは、いつも暮れ六つの鐘(午後五時)が鳴る少し前。当然子供は寝る時間が近づいていて、朔は食事を済ませると早々に桜太を湯に入らせ、身体を拭いてやって寝支度を整えさせる。その間も、桜太はずっと朔に話し掛けるのだ。
 内容は、いつも圭吾のこと。
 この四日で、朔は混乱を極めていた。
 桜太の口から語られる男は、まるで朔の知っている男とは別人。義に厚く、懐の深い、頼りになる男。町の人々も村の人々も圭吾を気に入っているというし、曲がったことを嫌う性分で、役人にも知り合いがいるのだという。