曖昧に笑って頷いてやる朔は、時折耳を塞いでしまいたいような衝動に駆られた。自分の知っている圭吾を否定されているようで、自分の受けている仕打ちを否定されているようで。我が身に起きている理不尽さを突きつけられ、悲鳴を上げそうになるのだ。
人は、ここまで別の顔を演じられるものなのだろうか?
住処を確保しておくためなのか、桜太の為を思うのか、わからないけど。圭吾は全く違う顔を演じ分け、村人を騙してこの地に身を潜めている。
「…ぼくねえ、お稲荷様の桜の木のところに、捨てられてたんだって」
布団の上に横になった桜太は、朔の傍らに寄り添い、夜着(よぎ)にくるまって目を閉じたまま、ぽつぽつ話し出した。
「みんな、子供いっぱいいて、ぼくを育てられなくて…相談してたら…通りかかった兄ちゃんがぼくを預かるって、言ったんだって…」
「彼に聞いたんですか?」
「ちがうよ…おばさんとか、手習いの先生とか…みんな言うの…兄ちゃんとお狐様とに、感謝しなさいって…ありがたいって、そういつも…心に、おいて……」
「桜太?」
返ってくる言葉はない。
代わりに小さな寝息が聞こえてくる。朔はゆったり桜太の身体を抱いてやった。
圭吾は桜太を拾ったこと……桜太の母親が我が子を捨て、自分が拾ったのだという経緯を、少年に隠さず話している。人の口には戸が立てられないから、正直に話してしまうのは懸命な判断なのかもしれない。
あまりに嬉しそうな顔で圭吾を語る桜太を見ていると、自分を犯している男が別人なのかとさえ思えてしまう。そんなはずはない。朔の心は騒ぐけど。
真っ直ぐな心で、圭吾を信じている桜太。純真な少年に反論することなど、朔に出来るはずがない。そもそも「お前の兄ちゃんは酷い男なんだ」などと朔が言っても、桜太は信じないだろう。
果たして、桜太の言葉はどこまで真実なのか。
桜太が騙されているのか?
それとも……もしかして、朔が?
この身に受けた惨い仕打ちは本物だ。何を言っても、今のこの状況が物語っている。朔を攫ってきて、ここへ閉じ込めたのは誰でもない圭吾だ。それだけは、違えようのないこと。
どんなに嫌だと叫んでも朔を犯した。許して欲しいと懇願しても、心ごと身体を引き裂いた。
いつも無表情に朔を求め、自分には逆らうなと恫喝する圭吾。そんな彼の中に、何を見ればいいというのか。どうやって、桜太の語る人物と朔の知る圭吾を、摺り合わせればいいのだろう……
ぞくっと背筋が震えた。
恐ろしい想像に、叫びたくなる異様な考えに、朔は唇を震わせて桜太の小さい身体を強く抱きしめる。
どんなにきつく目を閉じ、時を過ごしても、少しも眠りに付くことが出来なかった。
――狂ってる……!
歯の根が合わないほど震えて、朔は自分を否定する。
あの、圭吾が……本当は桜太の語る様な男ならいい、なんて。
自分の知らない一面は、桜太が見ている優しく強い、懐の深い男ならいいなんて。
どこまで愚かなことを!!
まだ夢を見ているのか自分は。一年以上に及ぶ陵辱のせいで、おかしくなってしまったに違いない。
だってそんな……。
世界中をさ迷って見つけた相手は、確かに圭吾だ。だがそれは、兄が見つけた女性の時ように、甘い出会いなどではなかった。圭吾が彼女と違うことなど、嫌というほど知っているはずなのに。まだ自分は、夢を捨てきれずに。この弱い心は、愚かにも桜太の言葉を身体に染み入れようとしている。
自分が受けた暴力よりもまだそんな、ふわふわとした理想を追っていたいのか!!
朔は自分を落ち着かせようと、何度も何度も桜太の髪を撫でた。しかし口から零れる名前は、優しい兄と弟のもの。
「にいさん…こう…たすけて…っ!」
一人になって初めて、彼らの名に縋った。そうしていなければ、苦しさに気がどうかなってしまう。
あの時ここで別れようと言い出したのは、自分なのに。兄や弟ならともかく、自分だけはあの時の別れを、後悔などしてはいけないのに。