【君に逢いたくて〜参〜】 P:08


 信じるな、信じるなと。
 朔は何度も己に言い聞かせる。けれど言い聞かせるたびに圭吾が、じっと黙って静かに月を見上げていた圭吾が思い出されて、朔を泣かせるのだ。



 夜が明けて、朔は腕の中の桜太を起こした。結局一睡も出来ないままだった朔だが、どんな病も体に残らないせいで、見た目には普段と変わらない。それなのに桜太は何に気付いたのか、じっと朔を見上げてくる。
「…どうかしたの?」
 躊躇いがちに問われ、朔はゆっくりと微笑んだ。
「何も。どこも変わらないでしょう?」
「変わらないけど…でも…」
 首をかしげ困惑する桜太の、その聡い様子に、朔は少しだけ心を尖らせた。
「さあ、早く支度をして」
 急かせる朔に押され、身支度を整えた桜太は納得いかない表情のまま、空になった行李を包み、手に取った。
「ねえ、朔」
「どうしました?」
「ぼく…今日もここへ来て、いいんだよね?」
 不安そうな少年に微笑んで、朔は洞窟の扉まで送ってやる。
 この子に不安を与えてはいけない。圭吾の正体がどうであれ、朔の心がどんなに悲鳴を上げていても、幼い子供には関係のないことだ。
「もちろんですよ」
「うん…」
「さあ、早く。もしおばさんが家に来ていたら、桜太がいなくてびっくりするでしょう?」
「…うん。わかってる…」
 二人が鉄格子を挟んで別れようとしたとき、暗い洞窟の向こうから誰かの足音が聞こえた。
 咄嗟に朔の顔が強張る。
 あとずさる朔を振り返り、一歩牢の外へ出ていた桜太が、朔の元へ戻ってきた。
「どうしたの、朔?」
「あ…あ」
 間違いない。いつもより足早な音でも、それは聞き慣れた、圭吾の足音。
「桜太っ!」
 姿を現したのは、やはり圭吾だった。数日振りに見る男は難なく朔の夢を打ち砕き、きつい視線で、朔ではなく桜太を睨んでいる。
「兄ちゃん…!」
「お前は!俺の言葉を聞いていなかったのかっ!?」
 ずかずかと怒りも露わな勢いで歩み寄り、扉をくぐる。朔と桜太を見比べて、圭吾は軽く舌打ちをした。
「とっととこっちへ来いっ!」
 怒鳴られた桜太が、思わず朔の着物を掴んだ。その怯えた様子が、朔の脳裏に鮮明な晃の姿を描かせた。
「桜太!」
 突き刺さる様な声。
 朔はぎゅうっと桜太の肩を抱き、自分の方へ引き寄せる。身体の後ろへ桜太を庇おうとする朔を見て、圭吾の目がいっそう鋭さを増した。
「何してんだ、あんた」
「あなたこそ、頭ごなしに怒鳴りつけることはないでしょう?!」
 身体は恐怖に震えるけど。朔の視線は凛とした色で圭吾を見返している。
「あんたの出る幕じゃねえ、引っ込んでろ!」
「そんな風では桜太が何も言えないじゃありませんか!」
「何の言い訳をさせる気だ?!約束を破るのは、大人だろうと子供だろうと、許されることじゃねえ!」
 圭吾は桜太に、朔と言葉を交わしてはいけないと言ったのだから。圭吾の言葉に、桜太はわかったと頷いたのだから。
 それでも、と。朔は桜太を離さない。
「責められるのはあなたであって、桜太じゃありません!」
「なんだと?」
「こんな年端も行かぬ子供を一人にして、どんなに心細い思いをしたと思っているんです?あなたはこの子を引き取ったのでしょう?!淋しいと言えない桜太を、もっと察してやったらどうです!!」
 言い放った朔は、慣れない大きな声に息を切らせていた。圭吾は呆気に取られた表情で朔を見つめ、桜太を見下ろす。
 二人を見比べる圭吾は、何事かぶつぶつと呟いて。そうしてついには、どこか拗ねたような表情になった。
「…おい、桜太」
「兄ちゃん…ごめんなさい…」
 幼い子供に涙を浮かべた顔で謝られたりしては、さすがの圭吾も立つ瀬がない。
「ったくお前は。…そんなに淋しかったのかよ」
 溜息を付いて、膝を折って。視線を桜太の高さに下ろし、身を寄せ合っている二人を交互に見つめた。
「うん…ごめんね…」