薄く開いた、震える唇。
圭吾は自分のものを擦って、朔の口元に精を迸らせた。むっとするような匂いに眉を顰める朔を許さず、節の大きな長い指が放ったものを中へと押し込んでくる。
「っ!…ん、ぁ…やっ」
「あんたは、ずっと俺に繋がれてりゃいいんだ」
咳き込む朔を見下ろしていた圭吾は、それだけ呟いて背を向けた。
朔が用意した手拭で手早く身体を拭き、着物に袖を通して身支度を整える。朔の荒い息を耳にして振り返った圭吾は、じっと朔を見下ろした。
力なく圭吾を見上げた朔は、自分の目に映った圭吾の表情が信じられなくて、言葉を失う。
「…………」
正直な気持ちを隠すように背を向けた圭吾は、何も言わずに立ち去ってしまった。
「……どうして?」
あなたの方が、傷ついた顔をしている?
酷い目に遭っているのは朔なのに。
圭吾の無表情に朔が読み取ったのは、まるで子供が泣く寸前のような、悲しげな色だった。
逆戻りの毎日に、朔は溜息をついて空を見上げた。朔の心を察したかのような、どんよりと暗い色。たぶんひと雨来るだろう。
圭吾との距離は、近くなったと思った途端に、また遠くなってしまった。彼の表情は、かけらも読めない固い無表情に戻っている。朔は自分が圭吾の表情を読めるようになったのではなく、圭吾の方が無愛想なりに、表情を見せてくれるようになっていたのだと痛感した。
朔が桜太を引き取った理由を聞いたとき、何かが圭吾の心に爪を立てたのだろう。
まるで入ってはならない場所へ足を踏み入れたとでもいう様に、圭吾は冷たくなった。あまりにも唐突に。ああして人の心が変わってしまう瞬間は、何度見ても心が怯える。
朔が異質だと気付いたときの人々と、同じだ。
「そういえば……」
初めてここに連れて来られた日、圭吾は治っていく傷を見て、朔の身体に起きている異様な事情を見抜いていた。老いていかないことまで。
しかし彼は、驚きはしたものの、少しも朔に対する態度を変えないまま。
「まあ、変わらないと言っても」
酷い男が酷いまま、ということなのだが。
空気が少しずつ張りつめている。嵐が来るかもしれないと、朔は断崖側に大きな衝立を移動させた。水捌けのいい牢獄は、大概の雨でも高い場所にいれば床が濡れる程度なのだけど。衝立くらいで床すら濡れないなら、その方がいい。
行灯を寝所に移したとき、洞窟の闇の向こうに小さな足音を聞いた朔は、訝しげな表情で顔を上げた。
「桜太?」
桜太が来るなどという話は聞いていないが。なぜこんな、天気の悪い日に?
「朔!朔?!」
「やっぱり。桜太!」
洞窟側の鉄格子に歩み寄ると、向こうからだんだん足音が大きくなって。姿が見えた途端、息を切らせた子供は泣きそうに顔を歪めた。
「どうしたんです?」
朔の姿に安心したのか、ゆっくりとこちらに歩いてきた桜太は、鉄格子をくぐって朔を見上げる。
「桜太?」
「空が……」
「空?空が、どうかしましたか?」
わけがわからす、朔は断崖に置いた衝立から僅かに見える空へ視線を移した。桜太は朔のすぐそばへ来て、朔の足の辺りにぎゅうっとしがみついている。
「…ごろごろって、いった」
「は?…ああ、空が。そうですね、もうすぐ雷が…」
「やだあっ!!!」
耳を押さえてしゃがみこんでしまった桜太に驚いた朔は、暗い空と少年を見比べる。
首を傾げ、桜太の様子に理由を見つけて、くすっと笑った。
「桜太、ねえ桜太。顔を上げて下さい」
朔の言葉にも、桜太はぶんぶんと頭を振るけど。細い手が肩を抱くと、涙をいっぱいに浮かべた顔で朔を見上げた。
「さくぅ…」
「桜太は雷様が怖いんですか?」
問われた桜太が、今度はがくがくと頭を縦に振っている。
「雷様は桜太のところまでは飛んでいらっしゃいませんよ?」
「でも、でもどーんって!ごろごろどーんってなるんだよ!」