「何をしているんです、寝ていなさい」
「それに、触るな…」
「…これ、ですか?」
手元の布きれを見つめ、圭吾を見つめる。彼の熱に潤んだ目は、どうにも朔を認識していないようなのだが。ぎろりと睨みつける迫力は、いつも以上のものがあった。
相当痛いのだろう。浅く息を吐き出して、圭吾は片手をつき、起こした身体を支えている。上気した頬と、僅かに震えている指先。
しかし朔を……いや、今の圭吾にはそれが誰かはわかっていないのだろう。とにかく彼にとって、何か重要な意味を持つらしい、古い布きれ。それを手にしている者、としかわかっていないのだろうが、圭吾は今にも食らいつきそうなほど、恐ろしい目で睨みつけている。
「…まったく、あなたは何だって、いつでもそういう…」
初めて会ったときからそうだ。圭吾とぶつかって、彼の財布を拾おうとした朔にも、こんな風に頭ごなしで言葉をかけてきた。
「返せと言っているっ!」
いきなりの恫喝に、朔はびくっと肩を震わせた。
「欲しけりゃ何でもくれてやる…だがな、それだけは置いていけ。それに…触る、な」
ぐらりと傾いだ圭吾に慌て、朔は彼の身体を支えた。吐き出している息が熱い。
「わかりましたから、寝て下さい」
圭吾の手に藤紫の布を渡してやると、彼は強い力でそれを握り締めて再び気を失い、がくっと重くなった。
「っ!」
なんとか支えて、ゆっくりと布団へ寝かせてやる。額に手を当ててみると、また熱さが増していた。
「…何だって言うんです?こんな古い布切れが。…そんなに大事なものなんですか?」
囁いてみても、圭吾は目を覚まさない。
朔だとわかっての行動ではなかったのだろうが、自分よりこんな古い布切れが大事なのかと思うと、少しだけ心が痛かった。
「朔!汲んできたよ」
桜太の言葉に顔を上げる。少年は小さな身体で、重そうな桶を抱えていた。
「ありがとう、そこに置いて下さい。取りに行きますから」
「うん。あとね、さらしだよね。思い出したんだ」
外に出したのは正解だった。井戸まで行って、少し冷静さを取り戻したのだろう。桜太はてきぱきと柳行李を開いて、白い布を取り出している。
朔はちらりと圭吾の手元に目を遣った。やっぱり彼は大事そうに、藤紫の布を握り締めていた。
桜太に手伝わせて、朔は圭吾の上半身を脱がせ、きつくさらし布を巻きつけた。
自身は傷を負わない身体だが、いやになるほどの長い人生の中では、暴動に巻き込まれることも多かったから。応急処置には慣れている。
何度か圭吾が呻くたびに、桜太は涙を浮かべて朔を見上げていた。その度に「大丈夫ですよ」と宥め、冷たい水で固く絞った手拭を圭吾の首の後ろに置き、額にも乗せてやった。
ひと段落ついた時には、もう真っ暗だ。月は天上を回ってしまっただろうか。ここに来た時から灯してあった行灯を、部屋の間に移動させて、朔は桜太を振り返る。
「お兄さんは私が見ていますから、桜太はもう休みなさい」
声をかけてやるまで、少年は心配そうに圭吾の手を握っていた。
「でも…」
「大丈夫ですよ。朝になれば熱も下がるでしょう。肋はね、こうして布で強く巻いて、熱が下がるのを待つしかないんですよ」
「うん…」
「桜太まで体調を崩したら、どうするんです。平二くんがまた悲しみますよ」
「……わかった」
渋々頷いた桜太のために、圭吾が見える囲炉裏の傍へ布団を敷いてやった朔は、少年をその中へ押し込んでしまう。よほど疲れていたのだろう、桜太は横になってしまうと、途端に眠そうな目をしばたかせ、縋るように朔を見上げていた。
「どうしました?」
隣に座った朔が微笑んで、何度か布団の上からぽんぽんと軽く叩いてやると、桜太は首をめぐらせ圭吾を見て、もう一度朔を見る。
「ねえ、朔…」
「はい」
「…兄ちゃんが治ったら、朔はまたあの洞窟に戻っちゃうの?」
ぴく、と指先が震える。どんなに押さえ込もうとしても、一瞬強張った表情は隠しようもなかった。
「ぼく、朔と一緒にいたい…」
「桜太…」
「朔と、兄ちゃんと…ずっと一緒に…この、家で…いられたら…いいの、に…」