「あんたに会えてなかったら、死んでた。あんたに助けてもらわなかったら、崖から落ちてそのまま死んでたさ」
優しい言葉を紡いでくれるのに、朔は自分が許せなくて何度も首を振る。
「朔?」
「そんなこと、ない」
「…………」
「私がいなかったら、あなたが一人で山に入ることもなかったんでしょう?私がいなかったら、あなたは大人たちから酷いことをされたりしなかった」
「そんなこと言うなよ」
「だって……!」
「あんたがいなかったら、俺はあんたに会えなかったろう?」
圭吾は朔の手を取って、唇を押し付ける。
「なあ朔。俺ぁこれでも、満足して生きてんだぜ。もう一度あのときに戻って選べって言われてもよ、俺は朔に会える道を選んださ」
「圭吾…」
手を引かれ、広い胸に抱きしめられる。朔が怪我を気にするのに、強い腕は少しも緩まなかった。
「覚えてたんだなあ…俺のこと」
「……はい」
「お互い、勘違いして随分と遠くまですれ違っちまったもんだ。あんたは俺を人殺しだと信じるし。俺は俺で…覚えてねえのかと思うと、血が昇っちまってな。…おまけに時雨がの奴があんたのこと、抱き心地のいい身体だなんて、ぬかしやがるしよ…」
醜い嫉妬だったな、と。自嘲する言葉。抱きしめられている腕の中で、朔は小さく首を振った。圭吾の手があまりにも暖かくて、身体が熱いくらいだ。
「急に閉じ込められて、恐ろしかったろう?酷ぇことしたな。…一度あんたを捕まえちまったら、どうにも離れるのが惜しくてよ。……悪かった」
謝罪の甘い囁き。朔は溜息をつくように息を吐き出した。
その瞬間、すうっと身体が軽くなる。
今まで朔を捕らえていたたくさんの鎖が、一気にほどけてしまったかのように。
不器用で、強引だけど。確かに圭吾は、朔が求めていた人だ。この世界でたった一人の、運命の人。子供に優しくて、想いの強い、温かい人。
この人で良かったと、初めて思った。思ったら、また泣けてしまって。そんな朔を、圭吾はずっと抱きしめていてくれる。
「あなたで、良かった…」
「ん?」
「この痣を持つのが、あなたで良かった」
朔は顔を上げて、圭吾の首筋に唇を押し付けた。くすぐったそうに首を竦めた圭吾が、朔の背中を撫でてくれる。
「あんたの背中にも、同じものがあるよな」
「知ってたんですか?」
「そりゃそうさ。何回抱いたと思ってんだ?初めっから気づいてたけどよ。その…言ったらまた、あんたが嫌がるんじゃねえかと思ったんだよ」
しおらしい圭吾の言葉に、朔はくすっと笑って。甘やかな拘束から抜け出し、するりと肩から着物を落とした。
「おい…?」
圭吾の一途な想いに対して、彼を利用するつもりしかなかった自分は、責められても仕方ないと思うけど。どうしても今、圭吾に聞いて欲しい。
「この身は、呪われているんです」
ゆっくり背中を見せる。そこには三日月の形をした痣が、白い肌に不似合いな存在感を主張していた。
「あなたと同じ形の痣…最初のときより、薄くなっているでしょう?」
「ああ…そうだな」
「あなたと肌を重ねるたびに薄くなって…千度目の夜に、消えるんです」
「朔…」
「この痣が消えるまで、私は死ぬことも老いることもありません。…病に苦しむことも、熱に浮かされることもない。…人の痛みを忘れてしまった、恐ろしい身体なんです」
そう言って、朔は項垂れるけど。圭吾は背を向けている朔を引き寄せた。
「そんなことねえだろ」
「圭吾…」
朔の手を取り、指先に強く噛みついた。痛みに朔が眉を寄せる。
「ほら。傷が残らなくったって、あんたは痛みを感じてる。誰より優しいあんたは、ずっと他人の痛みに傷ついてきたんだろ?…なあ、そんな自分のこと責めんなよ。あんたがどんなに苦しんできたか、俺にはわからねえけどよ。俺は嬉しいぜ?あんたが変わらずにいてくれて」
圭吾は朔の落とした着物を引き上げ、そのまま朔の背中を抱きしめた。
「…長ぇこと、待たせたな」
「圭吾…」
「もっと早くに迎えに行ってやれなくて、悪かった。辛かったか?」
耳元で尋ねてくれる圭吾に、朔は身を捩って圭吾に向き合うと、彼の首に抱きついた。
「あなたで良かった」
「朔…」
「あなたがいい。あなたじゃなきゃ嫌です。ずっとあなたに逢いたかった…!」
溢れてくる涙に、朔は目を閉じる。圭吾の着物を濡らしてしまうのも構わず、子供のように泣いていた。