――さて…相模屋さん、でしたよね。
圭吾の定宿に向かって歩き出した朔は、明るい声がかけられる中にいて、圭吾の姿を思い描いていた。
世界の中にただ一人、朔を「ひと」に戻してくれる相手。
同じ痣を持つ圭吾と出会ったとき、朔は彼の想いを知らなかった。自分を強引に攫って閉じ込めてしまった圭吾を憎み、恨んでいたけど。
全てが明らかになってしまえば、なんということはない。自分たちはずっと互いのことを探し求めていたのだ。今ではようやく、自分たちの痛い過去すら、笑って話し合えるようになった。
自分を捕らえ閉じ込めていた圭吾を、こんなに愛しく思えるなんて。
ひととはなんと、不思議なものなのか。
たった一度の邂逅。
幼い圭吾に手を貸してやった、ほんの短い時間を、彼は覚えていた。十にもなっていなかった圭吾なのに、あの時からずっと朔を想い続けていたのだと、熱く囁いてくれた。
涙が溢れて、仕方なくて。泣いて泣いてあの晩は、ずいぶん圭吾を困らせた。でも彼は、ずっと朔の涙を拭いながら、一緒にいようと抱いていてくれたから。
そのときのことを思い出し、ついついほわりと頬を染めてしまった朔は、慌てて首を振り、再び歩き出す。
九日前、嫌そうに仕事へ向かった圭吾は、自分を待っていて欲しいと言っていた。
……いや、それだけじゃない。
戸締りはちゃんとしろだの、飯はちゃんと食えだの、朔をいくつだと思っているのか。圭吾よりずっと長い時間を生きてきた朔に向かって、まるで子供に言い聞かせるような言葉。
言われなくてもわかってます、なんて。
むきになって言い返した朔だけど。
ほんの数日で、圭吾の言葉を身に染みて理解した。
何十年、いやもう何百年もの間、たったひとりで世界をさ迷っていたのに。帰ってくる相手を待つ、十日の時間は長く苦しくて、仕方なかった。
食事は喉を通らないし、心は落ち着かないし、毎日がぼんやりしてしまって何も手につかない。
圭吾が不在の間に片付けようと思っていた用事は手につかず、頼まれていた薬草も採りに行けなかった。あんまりな自分の体たらくに、ここでぼうっとしているくらいなら、圭吾を迎えに行ってしまおうと。決めたのが、昨日の朝。
そう決めてしまえば、驚くほど身体が動いて。何日も放り出していた仕事を、昨日一日で片付けた自分が、いっそ笑える。
そんなにも、圭吾に会いたいのだろうか。帰って来てくれるのは、わかっているのに。
明日帰ってくることすら待てなくて、少しでも早く顔が見たくて。
町へ向かう自分の足が、弾んでいるのに気づいたときは、恥ずかしくて立ち止まってしまった。これでは確かに圭吾から子供扱いされても、仕方ない。
うきうきと心を躍らせながら町を歩く朔は、目的の場所に着いて足を止める。
相模屋というこの宿の離れで、圭吾がいつも仕事をしているのだ。