「じゃあ、なに考えてこんなことしたんだい。怪我して当然じゃないかっ」
葉霧の厳しい言葉に、腕を引かれるまま付いて歩く朔は、しゅんと肩を落とした。
「…すいません…その、何も考えてませんでした」
こうやって時々、考えもせずに行動を起こすから、圭吾を心配させるのだろうか。
落ち込む朔を、前を歩いていた葉霧が睨むように振り返った。
「あんた新参者だろう。どこの店に入ったんだい?」
「ええ?!いえあの、私はただの通りすがりで、どこのお店にも入っていません」
朔の美しさに、てっきり売られてきたものだと思っていた葉霧は、探るような視線で朔を見つめる。
確かにこの人は美しいけれど、優しい雰囲気を纏っていて、陰間にありがちな暗さや、尖ったところがない。
「だったらこんなとこ、気安く来るんじゃないよ」
「…ごめんなさい」
いっそううな垂れる朔が、美しさに似合わぬ可愛い様子で自分の足元を見つめているものだから。葉霧はため息をついた。
「こんな汚い町、あんたみたいな人には似合わないんだから。通りすがりに怪我までして。馬鹿な人」
しかし言葉を裏切って、その口元には穏やかな笑みが浮かんでいる。
「手当てしてやるよ」
「あ…えっと、大丈夫ですよ?大したことはありませんし」
傷などどうせ、塞がっている。まさかそんな説明も出来ないのだが、首を振る朔に、葉霧は足を止めた。
ちらっと朔を見上げ、一度手を離してやって。唐突に切られたところへ、爪を立てた。
「っ…!な、なにを!」
「ほら痛い」
得意げな顔で笑う葉霧は、完全に面白がっている。
しかし朔は朔で、首をかしげていた。
「…あ、あれ?」
とっくに癒えているはずの手が、葉霧に爪を立てられ、また血を流している。新たに傷つけるほどには、強くされなかったのに。朔は良くわからず、首をかしげた。あれくらいの傷なら、もう塞がってしまってもおかしくない。
しかし考えがまとまらないうちに葉霧が朔の手を掴み、再び歩き出してしまって。
「痛いんだろ。おとなしく付いといで」
引っ張られるままに後ろを歩き出した朔の前で、もう葉霧は歩みを止めようとしない。
「はあ……どうも」
小さな呟き。
傷の治りが遅いことに気を取られていた朔の手を取ったまま、二人は陰間茶屋の暖簾をくぐった。
確かに、売られそうになったことなら何度かあるが、幸いにも実際に売られてしまったことはない。
通された二階の部屋で、初めて見る陰間茶屋の部屋を、物珍しそうに眺めている朔のもとに、手当てをしてくれた少年が、お茶の入った湯飲みを置いてくれた。
「傷、浅くて良かったですね」
にこりと笑うのは、葉霧に呼ばれて出てきた別の少年。
朔をその少年に預けてしまった葉霧は、格子窓に寄りかかって、さっきからずっと煙管(きせる)をふかしていた。
手の傷はただ、治りが遅かっただけのようだ。今はもう痛みもないし、手あてをしてくれた少年も「一応、布を巻いておきますね」と言っていた。きっと傷は、ほとんど消えていたのだろう。
「葉霧さんを助けてくださって、ありがとうございます」
にこっと笑う顔が、可愛らしい。しかしその分、朔の気を塞いでしまう。
……この子も売られてきたのだろうか。
人にはそれぞれ事情があるから、勝手な同情なんて、するつもりはないけど。こういう、同じ種の生き物を売り買いするような人間の愚かさに、どうしても朔は慣れることが出来ない。
「主人も後で、お礼に伺うと…」
「余計なことするんじゃないよ」
言いかけた少年の言葉を、葉霧が鋭く遮った。
「耄碌じじいに、もうこの人は帰ったって言っときな」
「葉霧さん、でも…」
「煩いねえ。文句があるのかい?こんな綺麗なお人が入ったら、あんたまた客をなくすよ」
煙草盆に煙管を叩きつけている。葉霧から睨まれた少年は、肩を竦めてため息をついた。
再びぷいっと外を向いてしまった葉霧を気にしながら、少年は朔に近寄ってそっと耳打ちする。
「うちの旦那さんがあなたみたいな綺麗な人を見たら、どうにかしようとするかもしれないから。やっぱり帰ったって、言っておきますね」
笑いを含むような声。尖った葉霧の言葉を、この少年はちゃんと理解しているらしい。朔もくすっと笑った。
「そういう意味なんですね。…じゃあ、お願いします」
「はい。…ねえ、お兄さん」
「え?」
面白がっているような、少年の視線。
彼はちらっと葉霧を伺い見て、いっそう声を落とした。
「葉霧さんがね、こんな風に誰かを気にするの、本当に珍しいんですよ」
「そう…なんですか?」
「ええ。いつもはそりゃあ、怖い人なんだから。でも最近ね、自分を庇ってくれる人に、弱いの。可愛いでしょう?」
「いい加減なこと言うんじゃないよ!!」