【9特集・改】 P:09


 とうとう葉霧の険しい声が飛んできて、少年はびくっと身を竦めた。それでもどこか楽しげな表情で「こわ〜い!」と怯える真似をしている。
 まだ何か怒鳴りそうな葉霧に、少年は慌てて立ち上がった。
「お兄さん、葉霧さんに優しくしてくだすって、ありがとう。じゃあね」
 小さく手を振った少年が、足早に去っていく。閉じられた襖を睨みつけ、葉霧は忌々しそうに舌打ちをした。
 手を振り返していた朔と、視線を戻した葉霧の目が合って。
 自分よりもずっと美しい朔に微笑みかけられ、葉霧はむっとした表情になった。
「本気にすんじゃないよ」
「お気遣いいただいて、ありがとうございます」
「だから本気にするんじゃないって!…ったくもう、あの馬鹿」
 葉霧はさっきの少年が、ついでに淹れていった自分の湯呑みを引き寄せ、ため息をついた。
 その蓮っ葉な様子は、刺々しくもあるけど。なんだか華やかさがあって、様になっている。
 じいっと見つめる朔に気づき、葉霧が視線を戻した。
「なんだい」
「いえ…なんていうか。おきれいなんですねえ…やっぱり」
 こういう商売をするのだから、見目が悪くてはどうしようもないだろうけど。それにしたって葉霧は、正直さっきの少年より何倍もきれいだ。
 朔の褒め言葉に、ぽかんとした表情になった葉霧は、すっと目を細める。
「何それ、嫌味?」
「は?どうしてですか?」
 きょとんと首を傾げる朔の姿からは、言葉の裏に嫌味を込めるような、したたかさが窺えない。
 しだいに何か葉霧を怒らせたのだろうかと、おろおろし始めた朔に、とうとう葉霧は笑い出した。
「あははは!あんた、ほんとにわかってないの?」
「え…え?私?」
「いや、いいよもう。なんかあんた、面白いから気づかなくていいよ」
 明るい表情。彼が陰間だなんて、信じられないくらいだ。
 葉霧はふふ、と笑みを浮かべたまま、朔をしげしげと眺めた。きれいな淡い色の髪をゆるく後ろで括って、上品な様子で湯呑みを手にしている。
「兄さん、旦那持ち?」
 唐突に聞かれ、朔は驚いてまばたきをした。
「そう、見えますか?」
 言いよどむのに、葉霧が笑う。
 そうして笑うと、ほどこした化粧の下から、年相応の幼さが顔を出しているように見えた。
「気にするこたないよ、ここは陰間茶屋なんだから。なんかさ…女房持ちってえより、旦那持ちって感じがしたんだ」
 朔は圭吾の姿を思い描いて、困ったように笑い返す。
「そういうのは、見てわかるものなんですか?」
 新しい葉を詰め、煙管を咥えた葉霧は、肩を竦めて見せた。
 ふうっと煙を吐きだし、慣れた仕草で煙管をくるりと回す。癖なのだろうか?少年の手元で、器用にくるくると回る煙管は、彼の楽しげな心情を表すかのようだ。
「あんた綺麗だし。あとは…そうだねえ。目とか、首筋とかさ。色っぽいけど、汚れた感じがしないからね。ああ可愛がられてんだなあって」
 驚いた顔の朔に、当たってんだろう?なんて言う葉霧は、まるで自身から強い光を放っているように見える。朔はなんだか、この少年に興味がわいてきた。
「葉霧さんはここへ入って、もう長いんですか?」
「そういうこと聞く?普通」
「え…ごめんなさい」
「まあいいけど。…あたしがここへ売られたのは三つの時だから、何年かねえ?十年以上にはなるんじゃない?」
 あっけらかんとした答え。朔はその言葉に、さあっと青ざめる。
 三歳で売られたなんて。
 だとしたら、彼を売ったのは実の親だということになる。
 表情を固くした朔を見て、葉霧は肩を竦めた。
「そう悲壮な顔をするこたないよ」
「葉霧さん…」
「ここの旦那があたしを買ったとき、十五両払ったんだってさ。それがねえ、今じゃ三百両って言うんだよ?馬鹿にしてるだろう?」
「三百両?」
「そ。それが、ここを出るのに必要な金」
 普通に暮らしていては目にするのも難しい金額に、朔は目を見開いた。
 しかし葉霧は、なんてことないよと、笑うのだ。
「こういうとこに売られるとね、普通は適当なとこで芝居小屋へ出されるもんさ。でもあたしは、まだここにいる」
「………」
「三百両って値を聞いたとき、じゃああたしは自分で自分を買うから、客が付く限りここへ置いてもらうよって言ったんだ」
 葉霧が金に執着する理由だ。
 まだ幼かった頃、気の遠くなるような金額を提示されて、それでも葉霧は怯まなかった。
 もとより、芝居などに興味はない。それよりなにより芝居小屋へ出されて、また新しい環境で束縛され、生きていくなんて。葉霧には耐えられない。
 金で自由が手に入るなら、なんとしてでもやってやる。
「誰にも頼らない。あたしは絶対に、自分で自分を買ってやるんだって。…ここへ売られたとき、決めたんだよ」
「葉霧さん…」