「陰間茶屋ってのはさ、どこも陰間が儲からないように出来てんだ。だからみんな無理だって、笑うんだけどね。でも…誰に馬鹿にされも、あたしは絶対やってやるんだ。…馬鹿だと思う?」
ふふっと、きれいな口元に初めて自嘲的な笑みが浮かんだ。朔は首を振り、にこりと笑う。そして何も言わずに立ち上がり、葉霧に近寄った。
なんだろう?と不思議そうな葉霧の隣に膝を折って。まだ幼さの残る、華奢な手を握る。
「あなたなら、大丈夫ですよ」
朔の瞳が優しく葉霧を見つめている。葉霧は唖然とした顔になったが、しかし珍しいほど優しく笑って「まあね」と呟いた。
「…あなたくらいの強さがあればきっと、何でも出来ますよ。楽しみですね、あなたが自由な世界へ歩き出す、その時が」
「ったく…気の早い人だねえ」
葉霧は苦く笑って、軽く肩を竦める。しかし朔はぎゅうっと、繋いだ手に力を込めた。
「信じていて?…大丈夫。きっと望みは叶いますよ…」
天女のように美しい人が、囁いてくれる。葉霧は少し照れた表情をしたが、黙って目を閉じた。額にそっと唇を押し当ててくれる、柔らかな感触。
それはなにか大きな加護を、与えてくれているみたいで。妙に敬虔な気持ちになり、おずおずと目蓋を上げた葉霧は、微笑みかけてくれる朔をじっと見つめた。
そのまま何かの覚悟を決めるように、何度かまばたきをして。
しばらくすると葉霧は、口元に彼らしい、強気な笑みを浮かべた。
「さて…あたし、商売の準備しないと」
勢いよく立ち上がり、照れ隠しのつもりなのか、ぎゅっと手を握り返し、朔を引っ張り上げてくれた。
「せいぜい稼がないとね!手間取らせて悪かったよ。その…ええと」
慣れない言葉に、少しだけ躊躇って。
でも葉霧は、上目遣いのまま素直に口を開いた。
「助けてくれて…ありがと」
「どういたしまして」
照れ隠しにぱっと朔の手を離した葉霧は、うーんと身体を伸ばし、力を抜いた。
襖に手をかけ、振り返る。その顔は、路地裏で会った時よりも、ずっときれいに輝いていた。
「そこまで送るよ、兄さん。あんた何か用があって、こんなとこ通りかかったんだろう?」
言われた朔は、ようやく思い出した。
「ねえ葉霧さん、梅島屋ってお店ご存知ですか?」
隣に並んだ朔から問われ、葉霧は少し首をかしげている。
「梅島屋?ん〜…あ、菓子匠の梅島屋?」
「ええ。大黒屋さんの裏手だって聞いたんですけど」
「…あんたまさか、それ探してここまで来たのかい」
「そうなんです」
「そうなんですって…あのさあ、こんな色町に菓子匠が店を開いたりするはずないだろう?」
呆れ顔。
葉霧はとんとんと軽い調子で先に階段を下り、「普通」なら誰でもわかるだろうことを、まるでわかっていない様子の朔に説明してくれる。
「いいかい?ここいらにいる子供は、大抵売られて来てんだよ。菓子なんざめったに口に出来ないんだ。それにねえ、お江戸の吉原みたいに大きいとこならともかく、こんな安い色町で女郎買うような客が、茶を嗜んだりもしないだろ?」
ほんとに考えなかったの?と、店の前まで出て朔を振り返った葉霧は、面白がって笑っている。いちいちもっともな葉霧の説明に、朔はまたしょげていて。
そんな朔の顔を覗き込んだ葉霧は、くすくす笑うのをやめずに囁いた。
「大黒屋違いだよ」
「……は?」
「だからさ、大黒屋は大黒屋でも、米問屋の大黒屋。あたしはこの色町の界隈しか知らないから、場所までは教えて上げらんないけどね」
単純極まりない間違いを指摘され、そんなこと考えもしていなかった朔は驚き、思わず頬を赤くした。探しても、見つからないはずだ。
朔の表情に葉霧は、米問屋の大黒屋なら、誰かに聞けばすぐわかるよと、肩を竦めて。ついでとばかりに送り際、呟いた。
「兄さんあんた、意外に抜けてんだね」
圭吾からも何度か言われている言葉に、朔がむうっと拗ねた顔になる。
そんな朔の子供っぽい表情に、葉霧が楽しげな声を上げて笑ったときには、もう未の上刻(14:00〜14:40)を回っていた。