【9特集・改】 P:11


 

 未の中刻。(14:40〜15:20)
 圭吾は顔見知りの陰間を見かけた。


「あれ圭さん。久しぶり」
 茶屋の前に立って、主人と話をしていた陰間が、圭吾を見つけ笑いかけてくる。一方で主人の方は、苦い顔をするや否や、店の中へ引っ込んでしまう。
 心底自分のことを嫌っている様子の主人に、圭吾は肩を竦めた。
「相変わらずだな、てめえんとこの旦那は…まだくたばらねえのか」
 最後の一言は、ひそりと声を抑えて。
 圭吾の方も主人を毛嫌いしていると知っている少年が、にやりと笑った。
「ああいうのは、棺おけに片足突っ込んでからが長いのさ」
「違いねえ」
 圭吾は何度かここへ来ているが、一度も少年たちの身体を買ったことがない。それが陰間茶屋の主人に嫌われる理由。
「そうだ、葉霧」
 圭吾は顔なじみをそう呼んだ。
 葉霧は首をかしげ、背の高い圭吾を見上げている。
「お前、ずっとここにいたのか?」
「ずっとっていうか…ちょっと見送りに出てきたんだけど。どうかしたのかい?」
「人を探してんだ。淡い髪色の綺麗な顔した男、見なかったか?大黒屋へ向かったと聞いたんだが」
「淡い髪色で…大黒屋って、もしかして米問屋と間違った人?」
 思わぬ話に目を丸くする葉霧の前で、圭吾も唖然とした表情になった。
「なんでそんなことまで知ってんだ?」
「なんでってあたし、その人の見送りに出てきたんだよ」
「朔を?!」
「朔っていうの?名前は聞かなかったけど。浮世絵でもお目にかかれないような、綺麗な人だろう?」
「ああ!今ってな、ついさっきか?!」
「ちょっと圭さん、落ち着きなよ…。追いかけて間に合うほどでもないよ、半刻くらい前だもの」
 呆れ顔の葉霧に言われ、圭吾はがくりと肩を落とした。あからさまに残念そうな圭吾の様子に、葉霧が頬を緩める。
「圭さんがあの人の旦那なんだ?」
「…そんな話を、朔が?」
「あの人がっていうか、旦那がいるんだろう?って聞いても否定しなかったし。あんな綺麗な人だから、どんな旦那だろう?って思ってさ」
 圭吾と朔なら、確かに似合いだ。
 目を細めて見上げてくる葉霧に、圭吾は少し驚いた顔になった。
「…きれいな顔してんな、お前」
「知ってる」
 唐突な褒め言葉に、しれっとした言葉が返ってくる。圭吾は軽く葉霧の頭を小突いて、しげしげと少年を見つめた。
 葉霧に会うのは久しぶりだ。
 以前の彼は、どこかしら不快さを感じさせた。それは彼のあくどい性格によるもので、端正な容姿と醜悪な中身の不調和が見せる危うさを、圭吾は気に入っていたのだけど。久々に会った葉霧には、角の取れた自然な美しさがある。
「前よりずっと、いい顔になったな。…なんかあったのかい?」
 興味深そうな圭吾に、葉霧はくすくす笑うだけで答えない。
「じゃあ、また描いてよ」
 圭吾がこの陰間茶屋を訪れるのは、いつも葉霧の姿を描くとき。彫り物の図案にするためだ。
 陰間としてではなく、個人的な取り引きだからと、報酬は葉霧に払うばかりで、主人には場所代程度しか渡していない。
 どうせそのうち葉霧に惚れて通うだろうと了承した主人は、圭吾が客にならないことに焦れて、ひと悶着起こしたのだ。
 その時、陰間たちを物扱いする主人の言葉にかちんときた圭吾が、思わず殴り飛ばしてしまって。
 ここへ来たのはそれきり。
 もう少し穏便に済ませれば良かったと、圭吾はため息をついた。
「描きてえけど…出入り禁止だろ?」
「構うもんか。あたしの客だって言ってやるよ」
 ふん、と得意げに言い放つ葉霧は、そりゃいいと笑う圭吾を見上げ、呟いた。
「…あたしねえ圭さん、ここを出る金、貯めたいんだ」
「?…前から言ってたじゃねえか」
 絵を描く合間、暇つぶしに話をしていて、圭吾は葉霧の思いを聞かされている。いまさら何を?と首を傾げる圭吾に、葉霧は肩を竦めた。
「さっきもう一度決めたの」
「へえ?」
「だから、お金ちょうだい?」
 ほれほれと手を出す葉霧があまりに楽しそうなものだから。白い手をぱちんと叩いた圭吾は「そのうちな」と口元を歪めた。
「いくらでも通って」
「ああ。だがとりあえず今は、朔を追いかねえと」
 来た道を振り返る。
 いくらなんでも、もう朔は梅島屋へ着いているだろう。追うとすれば桜太のいる近江屋(おうみや)へ向かう方が早いはずだ。
 今にも走り出す勢いの圭吾に、葉霧は可笑しそうな顔をしている。
「またね、圭さん」
 ひらりと手を振る葉霧の姿には、今まで以上の鮮やかさがある。眩しげに彼を見つめる圭吾は、頭の中で何枚か彼の姿を写している自分に気づいた。
 そういえば圭吾のことを「美しいものに貪欲だ」と評したのは、これから向かう呉服屋、近江屋の跡継ぎだったかと。思い出しながら、先を急ぎ足を進めた。