どんな目に遭っても優しさを失わない、クリスティンの優雅な姿を思い出して、テオはゆっくり歩き出した。
「今頃、どうなさっているかな…」
ぼんやり呟いて、窓辺に近寄る。
落盤のときの影響なのか、この窓は枠組が歪んでいて、どんなに力を入れても開かない。一度ここから逃亡を計って失敗したから確かだ。
窓を割れば出られないこともないが、もし近くにリュイスがいたら、音を聞かれてしまうだろう。
仕方なく何も出来ずに見つめる窓の外。傾く太陽は地平線までたどり着き、海を赤く染め上げていた。
この時間ならクリスティンは、まだ執務室にいるはずだ。彼は本当に勤勉で、努力を惜しまぬ人だから。
王宮でリュイスと暮らしていた頃、時々見かけるクリスティンは、いつも何かの本を読んでいた。
身体を動かすのは大好きなテオだが、読書や勉強はどうにも苦手だった。だからクリスティンの読んでいる本は、テオにとって題名さえ理解するのが難しものばかり。
テオに気付くと、いつもクリスティンは笑みを浮かべて、読んでいた本から顔を上げてくれた。少しの未練も見せずにそれを閉じ、話しかけてくれる。
―――元気そうだね、テオ。もう剣の稽古は済んだのかい?
注意深く周囲を観察し、誰かが頑張っているのをちゃんと見ている人なのだ。
そんな風に話しかけられると、テオはいつもどう答えればいいのかわからず、また読書を中断させてしまった申し訳なさもあって、同じ質問を繰り返していた。
―――あの…今日は何の本を読んでいらっしゃるのですか?
躊躇いがちに聞くと、彼はテオでもわかる簡単な言葉で、内容を説明してくれた。
その本は経済学書だったり、医学書だったり。クリスティンは王となる前から、国民を幸せにすることだけを考えていた。
弟王子の方は王宮にいた頃、明朗闊達で剣の腕にも優れ、時々テオの相手もしてくれていたけど。読書に時間を割いているところなんか、一度も見た事がない。
子供だったテオから見ても、やはり昔から、王に相応しいのは兄王子であるクリスティンであって、のちに反逆者となる弟王子の方ではなかった。
テオだけじゃなく、誰に対しても優しいクリスティン。本当にその物腰は、いつも静かで穏やかで。
どんな事態でも、声を荒げているところは一度も見たことがない。
幼い頃は何度かリュイスと共に先王アーベルに招かれて、夕食の席を囲んだことがある。公式の晩餐ではなかったが、王妃までもが並ぶその席には、いつもクリスティンと、今の状況が信じられないくらい仲の良かった弟王子も出席していた。