深手を負って命を落とした賢護石も過去には何人かいるが、アメリアが剣を持ち出したのは王宮の中だった。
人目があり、すぐに手当てが出来る環境。
ここで自分が命を落とすことはない。
だったら、アメリアの気の済むようにさせてやればいい。彼女が自分の血を見て納得するのなら、多少の痛みくらい、いくらでも耐えられる。
その判断が、どれだけ彼女を傷つけるかも考えず。目を閉じたレフは、僅かに笑みさえ浮かべていた。
彼が己の傲慢さに気づいたのは、緑の賢護石リュイスに身体を抱えられ、瞼を上げたときだ。
緑の賢護石には高い治癒能力がある。彼の魔力によって傷痕さえ残っていないと気付いた瞬間、レフの耳にアメリアが泣き叫ぶ声が届いた。
……思い出はいつも、この後の悲しい結末で終わる。
部屋の扉が外側から叩かれた。
よろよろ立ち上がったレフは、傍らに置いてあった布で濡れた髪を拭いながら「入れ」と促した。
「レフ様」
現われたのは、三十過ぎの優しそうな男。
メガネの奥の穏やかな瞳が、心配そうに少年姿の賢護石を見つめている。
「ベルマン…手間をかけるな」
「とんでもありません。ご迷惑をお掛けいたしました」
静かに頭を下げ、隣室の騒動を詫びる。レフは「構わない」と言いながら、彼の肩に手を置いた。
ベルマンは王都の人々に慕われている、優秀な医師。
そして、今のアメリアの夫だ。
……悲しい記憶の結末。
どんな理由であれ、愛していたレフに刃を向けたアメリア。
誰が何度、レフは無事だと言い聞かせても、レフ自身が目の前に現れてさえ、彼女は二度と正気に戻らなかった。
愛するレフを手にかけたアメリアの心は、完全に壊れてしまって。
もう、誰の声も届かなくて。
―――彼女の中から自分に関する、全ての記憶を消して欲しい。
レフは賢護五石の中で唯一、人の心や記憶に触れられる紫の賢護石、アルダにそう依頼した。
苦言を零しながらも引き受けてくれたアルダの術が終わると、アメリアは昔と同じように明るく笑うようになっていた。
彼女は何もかも忘れ、王宮を去った。
幼馴染みだったベルマンに再会して、恋をして、結ばれて。
その記憶に、レフと共に在った日々の思い出は、ない。
顔を上げたベルマンは、やはりまだ心配そうにレフを見ていたが、何も言おうとはしない。騒動を繰り返すうち、レフが自分に弱音を吐いたりしないと、悟ったからだろう。
嵐のたびに届く、レフからの書状。
そこには必ず、アメリアを気遣いベルマンに詫びる、彼の思いやりが溢れていた。
少年の姿をしていても、レフはベルマンよりもずっと長い時間を生きている、賢護石。過剰な心配は迷惑なだけなのだろうと、ベルマンは感じ取っている。
「ご連絡いただきましたのに、こんなことになってしまいまして。本当に申し訳ありません」
「気にするな。急患でもあったのか?」
「はい。今夜は一緒にいてやる予定でしたが、仕方なく家を空けたんです。一刻も早く帰ってやるはずだったのですが…」
静かで穏やかな口調が事情を説明し、困ったように隣の部屋へ続く壁を見つめている。ベルマンの温かい視線を、レフは落ち着いた気持ちで見ていた。
レフにとっては悲しい結末でも、アメリアにはそう不幸なことでもないのだろう。彼女はこの男と結ばれる運命だったのだ。