ラスラリエの次代を背負う皇太子、クリスティン。あの子も驚くほど聡明で……レフなどは、ちょっと心配になってしまうくらいだった。
思案げに腕を組んでいたレフが、顔を上げた。
そう、いつだったか。クリスと大臣の何人かを、自分の住んでいる西館に呼んでやったとき。クリスが誰よりも早く、自分の元へ来たことがあった。他はみんな大人だったにも関わらずだ。
どうやって追い抜いたのかと問えば、賢い皇太子は、ちょっと答えるのを躊躇って……自分が大人に追いつかないのはわかっていたから、別行動を取ったのだと。普段は出入りの禁止されている場所を、無断で横切ったと答えた。
あの時は別に、咎めるでもなく感心しただけだったけど。
同じように利発な、同い年の子供。
ウィルトも気付いたはずだ。全力で走る母に、自分が追いつかないことくらい。
「オーベリ、地図を出せ」
「はい」
アメリアの手できれいに片付けられている食卓に、王都の市街地図が広げられる。
東の端にあるベルマン家。アメリアは中央通に出て、まっすぐ王宮に向かったはずだ。
それを子供が追い抜くためには……
―――まさか、崖側の道を使って王宮へ向かったのか?
道の入り組んだ町を迂回して、崖沿いの道を走れば、子供の足でも追いつける可能性が高い。ただしそれは、あまりに危険な道行きだ。
それこそ賢いウィルトが、そんな危険な選択をするだろうか?
少しだけ悩んだが、レフは眉を寄せた。
他の子供たちよりも賢いからこそ、少年は自分を過信したかもしれない。
「レフ様?」
「間違いない」
「え?」
「オーベリ、ここには二人残していこう。人選は任せる。他の者は私と共に、崖沿いの道へ」
「まさか、あんな危ない道を幼い子供が…」
「だからこそ時間がない!急ぐぞっ」
町の捜索はリュイスに任せておけばいい。
オーベリの他に三人の兵士を連れ、馬に跨ったレフは、激しい雨の中を駆けだした。
建国以来、永遠とも思える平和を享受しているラスラリエでは、王宮であっても外からの敵と戦うことを、あまり想定されていない。
城壁は低く、物見の塔も少ない、甘い造りなのが現状だ。
しかしそれでも、大陸の列強と戦ってこの地へ流れ着いた経緯から、ラスラリエ王宮にはいくつもの抜け道、避難道が用意されている。
レフが馬を走らせているのも、そのうちの一つ。
山を背に建っている王宮の東側には、崖沿いから町に通じる、細い道がある。
緊急時の通路なので、あまり整備されていない急な坂道だ。土が剥き出しで、今は雨の影響もあり、泥の流れが濁流のようになっていた。
足跡を追うことも出来ず、この大雨では名前を呼んでも届かないだろう。闇に目を凝らしてみるが、自分の腕の先さえおぼろげな嵐の夜。
たとえ幼い子供が座り込んでいたとしても、見つけられるとは思えない。
なのにレフの頭の中を、根拠のない確信が一気に貫いた。
その場所で馬を止めなければならないと、自分でも信じられないくらい、強く感じたのだ。
「レフ様?」
急に馬を止めて地に降り立ったレフを、オーベリが不思議そうに見つめている。