―――大丈夫かよ…こんな簡単で。
やっておきながら言うのもなんだが、レフの住まいだと思うからこそ、余計に心配になってしまう。
国の要であるラスラリエ王宮に、こんな簡単に子供が入り込んでしまえるなんて。ここの警護は本当に大丈夫なんだろうか。
馬車は程なくして、食糧庫のそばに止まった。ウィルは樽の間から抜け出し、物陰を選んで歩き出す。
しょっちゅう来ているし、そのうち半分以上は黙って忍び込んでいるから、王宮内の配置は大体覚えているけど。広大な敷地を誇るラスラリエ王宮全体となったら、まだまだ知らない場所の方が多かった。
かつて治療を受けていた医療棟が見えたから、まずはそこを回避する。ここで働いている人々には顔を知られているし、会いたい人も味方になってくれる人もいない。
しばらく人目を盗んで歩き回り、ようやく誰もいない場所に出た。
ひとまず落ち着いて、ここはどこだろうと周囲を見回す。
ウィルが立っているのは、東館の裏手だった。隣り合う政庁との間の道を覗くと、ずっと向こうに目的地の西館が見えていた。
―――けっこう、距離があるなあ…
目の前の東館は「王の庭」を挟んで、西館の反対側。今いる辺りは庭というより、もっと実質的な果樹園になっている。
見たこともない美味しそうな果物がたわわになっているけど、ウィルはもの欲しそうにそれを見つめるだけにして歩き出した。
気安く忍び込んでいたって、自分が許可もなく王宮にいるという自覚はある。果物ひとつ、紙切れ一枚であっても、手を出すのは重罪だ。
とりあえずレフに会ったら、お腹が空いたと訴えよう。あの人はこの台詞に弱い。
金色の髪の、華奢で愛らしい賢護石に思いを馳せながら、長い道のりを歩いてゆく。
お日様にきらきら光る、濃い金色の髪。もちろんその髪も大好きだけど、ウィルはレフの瞳を覗くのも好きだ。
髪と同じ金色の、意志の強い瞳。
想像も出来ないくらい、長い時間を生きてきた魔族なのに。少年姿の賢護石はその容姿に違わず、驚くほど表情豊か。
怒ったり笑ったり、時には悲しげに視線を伏せたり。どんな顔もウィルにとって、この世の誰よりきれいな人。
会いたいな、と。毎日思ってしまう。
ずっとあの瞳を見ていたい。本当はここに住んでしまいたいくらいなのだが、子供の自分ではまだ無理だし。そんなことを言い出して母を泣かせでもしたら、レフに嫌われてしまう。
悔しいけど、あの人にとってまだ、自分は母の存在を超えられない。
だから今のウィルの夢は、父と同じ医者でも、教師達が期待する学者でもなくて。ただただ、王宮に住むことが許される仕事に就くこと。
ここに住んで、毎日レフに会えるのなら、馬番だって庭師だって、何だって構わない。
いま現在、王宮で働いているどちら職業のの人々も、ウィルを可愛がって相手をしてくれる。
だから彼は、けっこう本気で考えたりしているのだ。
ようやく東館と政庁の間を抜けて、王の庭に出た。
ここを越えたら西館まではもうすぐ。
王宮には何ヶ所か、美しく整えられた庭がある。
国王陛下の居住区である中央殿から眺められる、一番手の込んだこの庭が「王の庭」。政庁と議事堂を挟んで正面門との間にあるのが一番広い「王妃の庭」だ。