がっくりと肩を落としたウィルは、しばらくして「まあ、いいや」と顔を上げた。
「今日ここへ来たから、クリスと友達になれたんだし」
「ウィル…」
「ちょっと危なかったけど、来た甲斐があったよ」
にっと笑ったウィルを見て、目を見開いたクリスはすぐ、花が開くかのような笑みを浮かべた。
彼は何も言わずにそうっと目を閉じて、ウィルの言葉を噛み締めている。
こんなにも幸せそうな顔をされるとは思わなかった。
嬉しい反面、本当に彼には誰もいないのだと痛感した気がして。ウィルの中でも皇太子だという以上に、クリスの存在が大きく刻まれた。
繊細な容姿のせいだろうか。同い年なのはわかっているのに、彼はなんだか見ている者の、庇護欲をそそるのだ。
自分よりずっと立派で、落ち着いていて、頭の回転も速く凛としているのに。彼を見ていると、どことなく不安を煽られる。
「なあ…」
「はい?」
問いかけたものの、何を聞く気だったのか自分でもよくわからない。
口をついて出るはずだったのは「大丈夫か?」という言葉。でも一体、自分は何を確かめたかったんだろう。
クリスの体調は落ち着いている。他に尋ねるような事はない。
ウィルは軽く頭を振って、さっきクリスが取り落とした本を指さした。
「あれ、見てもいいか?」
頷いてくれたのを確かめてから、それを取りに立ち上がった。
座り込んでいた所まで戻ってきて開いてみると、けっこうな量の本を読んでいるウィルでも難解な、専門的な言葉が並んでいる。
「すげえ…こんなん読めるのか」
「何も凄いことなんて、ありませんよ」
「クリス?」
「言葉さえ知っていれば、書物を読むことは出来ます。でも私はそれだけです」
「それだけって…」
「何も、知らないんです。大切なことは…何一つ」
辛そうに眉を寄せているクリスが、何をそんなに苦しむのかわからない。
もう一度、本に視線を落としてみる。確かに難しいけど、知っている言葉を拾ってみれば、書いてある内容はどうやら馴染みの深いことばかりのようだ。
「これ、町について書いてある本?」
「そうです」
「町なんか、見に行けばいいだろ」
「私は自由に町へ出ることが出来ませんし。自分の足で城下の町を歩いたことすらないのです」
「え…本当に?」
「はい」
「そっか。いろいろ難しいんだな」
王宮にいても親しい友人すらいないクリスは、そこから自由に出ることも出来ないのか。自分が感じた不安は、これなのかもしれない。
ふうっと息を吐いたウィルは、ぱたんと本を閉じて顔を上げた。
「じゃあクリス、煉瓦の道を歩いたこと、ないんだ?」
「…そうなりますね」
王都ショアは王宮の正面門から町の外まで、真っ白な石畳の道が伸びている。中央通と呼ばれているそこを、王族の人々は馬車に乗って移動する。
祭事の折などは華やかな行列を作り、人々の歓迎を受けるのだが、確かに彼らが馬車から降りた姿を、見たことはない。
王宮の中にいたっては、どこも城下の中央通と同じ、白い石しか敷かれていないのだ。
町はどこも、中央通以外は、全て赤っぽい煉瓦道。もちろんウィルの家の前もそうだ。
急にそんなことを聞いてみたのは、ちょっとしたことを思い付いたから。
「触ったことは?」
「煉瓦を、ですか?」