「合理的って…そもそもお前は、皇太子なんだから」
「それを言うなら、貴方だって賢護石です」
「聞き分けのない」
頑固なクリスにレフが呆れた顔をすると、悪戯っぽく笑いながら、彼は広くなったテーブルに茶器を持って戻ってきた。
「これくらいのことで、聞き分けも何もないでしょう?私はエリクにだって、同じようにしていますよ」
「お前…それはあまりにも…」
貧民街に住むエリクのことを、差別するつもりなど毛頭ない。しかしクリスのこういう行動は、エリクを特別扱いしているかのように見えて、他の者の反感を買ってしまう。そうなれば被害を受けるのは、クリスではなくエリクなのだ。
顔を顰めるレフが言いたいことなど、すでにわかっているのだろう。クリスはあくまで微笑を浮かべながら、緩く首を振った。
「出来る者が、出来ることをすればいい。それだけのことです。…私にしか出来ないことは、私がやる。エリクにしか出来ないことは、エリクにやってもらう。誰にでも出来ることなら、誰がやってもいい。そう思いませんか」
「だが、お前の気持ちよりも、エリクの立場が…」
「わかっていますよ、レフ。だから私の執務室には、誰も常駐させないのです」
ふふっと楽しげに笑うクリス。このとき初めて彼の真意を知り、レフは今さらながらクリスの計算高さに驚きの表情を浮かべた。
何が書庫のそばがいいから、執務室は議事堂にしてくれだ。狭くても構わないなんて、どの口が言う。
クリスはあえて、ここに自分の執務室を用意させたのだ。補佐役の者を置かなくても、怪しまれないように。エリクが出入りしていても、人目に付き難いように。
議事堂の西端に位置する、クリスの執務室。
少し行けば庭師や馬番たちが利用する、搬入用の小さな門がある。おそらくエリクはそこから出入りしているのだろう。
またこの狭い執務室には、クリスの机と小さな応接用ソファー、ぎっしり本の詰まった本棚だけで、いっぱいいっぱいだ。当然、補佐が常駐する余裕も、侍従が居座る場所もない。
誰も不思議に思わない。
普段のクリスを知っていればこそ、彼の謙虚さを褒め称えることはあっても、そこに思惑があるなんて、考えない。
レフはふいに眉を顰めた。
さっき引っ掛かった、エリクの言葉。
シーサンドエンドに住んでいる方が、便利だなんて。
「…お前、エリクに何をさせているんだ」
問いただすレフに、クリスのにこやかな表情は変わらない。ゆっくり立ち上がると、彼は自分の机に何かを取りに行った。
「その件で、貴方に来ていただいたのです」
「私に、何を…」
クリスの意図が全く読めないでいるレフの前に、彼は一冊の書物を置いた。
そのタイトルを見た途端、レフの表情が変わる。
「もう、お読みになりましたか?」
「………」
「貴方のことだ。たとえ誰に言われても、ご自身では手には取らなかったかもしれない。でも噂ぐらいは聞いているのでしょう?」
「クリス」