「ベルマン先生、こちらです!」
大声で名を呼ばれても、右足がろくに動かないウィルは、走ることが出来ない。なんとか足早に近づいているのだが、傍から見ればのんびり歩いているようにも見えてしまうのだろう。
「先生、早く!お願いですからっ」
そう言われてもな、と。ウィルは顔を顰めながら示された部屋に向かう。
道案内など必要ない。そこが目的地なのはわかっている。ウィルの視線の先には、輝くばかりの金色の髪が揺れているのだから。
「ぅ…ぁ、うあああっっ!!」
悲鳴とも咆哮とも取れる声が聞こえた。
ようやくたどりついたウィルは、部屋の入り口で動けずにいるレフの肩に手を回して、中を覗きこむ。
「やっ!やああっっ!!いやああッッ」
「ファン!落ち着けって、ファン!!」
部屋の中では、寝台で暴れる紫の賢護石ファンを、アルムが懸命に押さえつけていた。それがいっそうファンの混乱を招くのだが、他にアルムの出来ることもないだろう。
腕を回した華奢な肩が震えている。ウィルは大きな手で、細いそれをさすった。
「レフ、大丈夫?」
「私は大丈夫だ…しかし、ファンが…」
「ああ。ちょっと大変なことになってるな」
「ウィル…」
「見てるのが辛いなら、離れててもいいよ」
愛しい人の肩を撫で、髪を撫でて、こめかみに唇を押し付ける。いつもは接触を嫌がるレフなのに、今のファンの様子があまりにも衝撃的なのか、動揺していて考える余裕もないようだ。
細い指がきゅうっとウィルの服に縋りついた。
「ぅああああっっ!!」
顎を上げ、喉を晒してひときわ高く声を上げたファンを見ていられず、レフは額をウィルに押し付けて、強く目を閉じる。
あんな風に錯乱する賢護石を、見たことがないのだろう。自分の身にも起こりうる事態だとわかっているから、余計に恐ろしいのかもしれない。
世界にたった五人しかいない仲間の、想像を絶する姿。レフはファンが声を上げるたびに、びくりと身体を震わせる。
そうっと抱きしめて背中を撫でたウィルの口元に、満足そうな笑みが浮かんだ。
ファンに注目が集まっていて、誰も見ていなかったのは幸いだ。患者の窮地に主治医が微笑んでいては、信用も何もあったものじゃない。もちろんそんなこと、ウィルにもよくわかっている。
―――ま、これじゃクリスに似たようなモンだって言われても、仕方ないか。
酷い男だな、と自分を評して。ウィルは腕の中の愛しい人を見つめた。
今日、ファンがこうなることは、大体予測できていた。その上でレフをここへ来させたのは、誰でもないウィル自身。
「ごめんな、レフ。オレが食事を運んでほしいなんて言ったから…こんなことになるとは思ってなくて…本当にごめん」
あくまで穏やかに、申し訳なさそうな声で囁いた。レフはウィルの腕の中で首を振る。顔を上げた金色の瞳は、今にも零れそうな涙で潤んでいた。