「…あのお噂は、本当なのですね」
「噂?」
低く呟いた言葉が、さすがに気になったのだろう。ウィルは首を傾げて今一度振り返った。
先刻までレフの心配で顔を歪めていた男は、まるで睨むようにウィルを見つめている。
「王宮の者はみな噂しておりますよ。貴方がもう、レフ様に興味を失ったのだと」
「………」
「紫の賢護石ファン様の美しさに心奪われ、随分とご執心だそうですね。貴方があまりにも熱心にファン様の元へ通われるから、悋気(リンキ)を起した皇太子殿下が、何かと貴方を呼びつけていらっしゃる」
「………」
「確かに貴方は、随分とお忙しいご様子だ。一体何にお忙しいのやら」
吐き捨てるように言う男は、おそらくずっとそれを不満に思っていたのだろう。
毎日にようにレフの所へ通ってきていたウィルが、あまりにも唐突に姿を見せなくなって。入れ替わるように王宮に上がった紫の賢護石は、息を飲むほど美しい姿。
最近はどこで見かけても、ウィルの隣にクリスかファンがいる。優しく笑うウィルの視界に、レフの入る余地はない。
ぎりぎりと奥歯を噛み締めながら責める男の言葉を、黙って聞いていたウィルは、しばらくしてから口を開いた。
「その噂は、レフ様の耳にも?」
「当然でしょう!あの方がどんなにお心を痛めていらっしゃるか、貴方はどうして…っ」
声を荒げる男の前で、ウィルは可笑しそうに肩を震わせている。
「何がおかしいんです!!」
「何がって…何もかもですよ。そんな噂が広まっているとは。本当に王宮のみなさんは、根も葉もない醜聞がお好きなようだ」
「…え?」
「庶民出の私を挟んで、まだ心の幼い紫の賢護石様と皇太子殿下が、火花を散らしている。しかも二人は誰の目にも美しく、彼らの間で心を揺らす私は、さぞかし滑稽なのでしょうね」
「ベルマン先生、あの」
「これが笑わずにいられますか。…殿下とファン様が聞いたら、目を丸くなさるでしょうよ」
ペンを置いて指を組んだウィルは、苦笑いを浮かべたまま、男を見つめた。
「他の方はともかく、なぜ貴方のような方まで、そんなつまらぬ噂を信じるのです。信頼する貴方の口から、そんな下らない話を聞くことこそが、レフ様のお心を煩わせると、どうして気付いてくださらないのですか」
「しかし、貴方は…っ」
「仰るとおり、私はお二方と行動を共にすることが多い。殿下は今、私などの為に整った診察環境を用意しようと、奔走して下さっている。もちろん、私が同席することも多々あります。なにしろ私自身のことなのですから」
「あ…」
「ファン様が貴方の目にどう見えているかわかりませんが、彼の心はまだ、たった十二歳の子供なのです。いきなり王宮へ連れて来られて、心細い思いをするのは当然だ。主治医として私がお傍にいることは、そんなにも不思議なことでしょうか」
すうっと青ざめる男に、ウィルはあくまで穏やかに言葉を続けた。
「ファン様のお体を診せていただくことは、必ずいつか、レフ様のお役に立つ。私はずっと、そう思っておりますよ」