泰成としては一時の享楽に付き合ってもらえればいいだけなので、曖昧な言葉と心にもない褒め言葉で返事をしているが、そろそろ女に飽きてきた。
次を探すか、と頭を掻いているところに銃声が聞こえた。
君子は危うきに近寄らないものだが、泰成は目を輝かせて音のした方へ向かった。
大体が泰成にとって、世界は全てが曖昧で面白味のないものなのだ。一切の努力というものを、したことがない。
何かに対して熱く取り組んだこともないし、懸命に何かを求めたこともなかった。
常に面白がっているようでいて、何も泰成の興味を引かない。だからこそ泰成は、貪欲に何にでも首を突っ込み、自分勝手に飽きては放り出している。
銃声を聞いて、身の危険など考えなかった。どんな凄惨な現場を見られるだろうと、悪趣味なことしか考えていない。己を過信するあまり周囲に迷惑をかけているという、自覚がない。
ひょいと覗き込んだ泰成の耳に、続けざまな銃声が聞こえた。銃を手にしているのは警官だ。そっと身を潜ませながら見守っていると、警官は何度も何度も倒れている男に弾を打ち込み、やがて空になったのか、カチカチと乾いた音を拳銃にさせて、荒い息をついていた。
「バケモノめ…っ!」
吐き捨てる様な汚い言葉。警官は死体を確かめることもなく、泰成の存在にも気づかずに走り去った。
一部始終を見ていた泰成は、首を傾げる。犯人を追っていたにしては執拗な攻撃だ。それに警官が犯人の死体から逃げ出すなんて。仲間の到着を待ったり、現場を保持したりしないものなのだろうか?
不思議に思って立ち止まっていた泰成は、次の瞬間ぎょっとして目を見開いた。
「な……っ」
撃たれていた男が、ゆっくり立ち上がったのだ。血だらけになった上着を脱いで息をつき、泥のついた膝を払って溜め息などついている。
ありえない。
その手にしている上着を染めた赤が、確かに撃たれたのだということを物語っているのに。
呆然として男の姿を見つめていた泰成は、振り返った彼とまともに目が合った。
驚いたことに、動揺したのも恐怖の表情を浮かべたのも、泰成ではなく相手の方だった。彼はしかし、すぐに冷静さを取り戻すと、眉を寄せて逃げ出そうとする。
泰成は慌てて彼を捕まえた。
「待ちなって」
「離せっ」
互いに英語で怒鳴りあったが、彼を覗き込んだ泰成はひょいと眉を上げた。
「…ひょっとして、日本人か?」
とてつもなく綺麗な顔をしていて、華奢な身体をしている男は、一見すると国籍不明に見えるが、間近で確かめると馴染みの深い黒瞳に黒髪。
日本語で尋ね泰成のことを、男は驚いて見上げている。泰成はにやりと笑って、惺の腕を掴み直した。
「日本人だよ、これでもね」
「…離しなさい」
抑揚のない声は確かに日本語だ。泰成は僅かに眉を寄せる。誰かに命令されるのが何より嫌いだ。
「断る。…なあ、あんた。さっき撃たれてなかったか?」
「貴様に関係ない。離せ」
「撃たれてるよなあ…そのナリじゃ」
まじまじ見下ろせば、シャツにも穴が開いていて、血がついている。しかしそこから覗く肌には、傷ひとつない。
複数の足音が近づいてきた。泰成のつかんだ腕がびくんと震える。それに気づいた泰成は素早く着ていたコートを脱ぐと、自分より頭ひとつ背の低い男にそれをかぶせた。
「な…っ何を!」
「しっ…おとなしくしてな。見つかるよ」
「うるさい、とっとと離せ!」
「いいから。…警官には見つかりたくないだろう?」
弱味に付け入るようなことを言って、泰成は自分のコートを着せたまま、細い身体を抱き寄せた。
「何をしている!」
鋭い警官の声に、抱き寄せた身体がまた震えた。
「なんでもないさ。銃声に驚いて震えているから、宥めているだけだ」
「貴様、何者だ!ここでなにを…」
言いかける恰幅のいい警官の袖を、隣にいた別の警官が表情を強張らせて引っ張っている。
「警部、こいつ例の日本人ですよ」
「なに?」
ヤードでも有名人。下手に引っ張ると、外交筋を通して文句を言ってくる日本人。
ひくりと頬を引き攣らせる警官ににやりと笑いかけ、泰成は華奢な肩を抱いたまま歩き出した。
「私はここに居合わせただけだ。この人は繊細な人でね。大きな音に驚いて、怯えてしまっている。…これ以上私の足止めをするなら、出世を諦める覚悟をするんだね」
ひらひら手を振って、立ち去る泰成の後姿に、口汚く罵る言葉が投げかけられていた。
警官たちから離れると、男は泰成のコートを羽織ったまま、腕の中から抜け出した。
「なんだい、助けてやっただろうが?」
「僕が頼んだわけじゃない。…触るな、反吐がでる」
「はあ?私のおかげで面倒な追求もされなかったんだろ」