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慌てた少女は男を追いかけ、前に回って彼の足を止める。そうして、手を組み合わせ涙ながらに「ごめんなさい」と囁いた。
「貴方を騙すつもりなんてなかったの、本当よ。お願い、信じて」
「君にそのつもりがなくても、結果的には同じことだと思うが?」
「でも、でも私、お父様から急に縁談の話なんかされて、どうしていいのかわからなくなってしまって……」
必死な様子で訴える少女の可憐な姿に、男は眉一筋動かさない。
「最初に言ったはずだ、私は酷い男だと。君との未来など、何一つ約束できない。そう言っただろう?」
「わかってる、わかってるけど…!」
髪を振り乱す少女に、タイセイと呼ばれている男は、再び溜め息をついた。
異国の地で、流暢なこの国の言葉を操るこの青年は、名を笠原泰成(カサハラタイセイ)という。
今年十九になるとは思えないほどの落ち着きと、人目をひく存在感の持ち主である彼は、日本でも屈指の名家である笠原家の長男として生まれたがゆえに、普段から怖いものなど何もないと豪語していた。
強気な性格でケンカにも強く、その上頭が切れ、うなるほど金のある彼には、確かに怖いものなど、あるはずもなかっただろう。
おまけにこの男は、女受けする自分を十二分に理解しているのだから、始末に終えない。この国に来て、二年。何度女たちに「最低!」と罵られたことか。
しかし本人は、少しも意に介していなかった。
泰成にとって女など、遊びでしかないのだ。いや女だけではなく、泰成にとって、この世の全てはつまらないおもちゃ箱と同じ。彼はそれを、子供のように引っ掻き回しているだけなのだ。
泰成にはわからない。
目の前にいる少女のように、他人に縋って泣く気持ちも、息苦しくなるような想いも。
店を訪れた泰成に何の説明もなく、唐突に「この人と結婚を約束したの」などという嘘を口走って父親に引き合わせたのは、確かに少女の方が勝手だったろう。
何度か身体の関係を持ったのは確かだが、泰成は自分でも言っている通り、最初から「遊びだ」と言っていた。「それが嫌なら、断ればいい」とも。
しかし、少女の方が泰成を、本気で好きになってしまった場合はどうすれば良かったのか?
日を追うごとに気持ちが傾いて、彼のことしか考えられなくなって。
わかっていたはずなのに、彼を思う気持ちは、どんどん制御が利かなくなる。
会えない日は眠れなくて、泰成のことだから他の女のところにいるかもしれないと思ったら、嫉妬で気が狂いそうになった。
父親から縁談を持ち掛けられたとき、彼女は泰成が、けしてその話を止めないだろうということを、理解していたのだ。
でも嫌で……嫌で嫌で、どうしようもなくて。泰成に止めて欲しくて。
どうしても、わかって欲しくて。
泰成の前で俯いていた彼女は、震えながら顔を上げた。
「貴方を愛しているの…タイセイ…」
情熱的な告白の言葉とは裏腹に、彼女は悔しそうに唇を噛んで、睨むように泰成を見上げていた。
父の前でただ一言「ふざけるな」と吐き捨てた泰成。
苛立たしそうに席を立ち、父の怒鳴り声に一瞥も返さず、騒然となっている店を出て行った。
もう望みなんて、髪のひとすじほども無いというのに。どうして追いかけてしまったのか。
この冷たい目をした日本人には、どんな言葉も届かないのに。
「…貴方には、きっとわからないのでしょうね」
「よくわかっているじゃないか」
手の甲で涙を拭い、にやりと嫌みったらしく笑う泰成を睨みつけて、少女は眉を吊り上げた。
「そうね…わかるはずないわ。だって貴方、誰かを愛したことなんか、一度もないんでしょう…?」
彼女の言葉に棘を見つけ、泰成は眉を顰める。
「どういう意味だ」
今度は泰成の方が、少女の腕を掴んだけど。彼女は驚くような強い力で、それを振り払った。
「貴方は何も手に入れられないわ!誰も貴方のものにならないのよ!」
「何を言って…」
「可哀相な人っ!なんて哀れなのかしらタイセイ!全てを失って、そして気付くといいわ!貴方が踏みつけにしてきた人たちの想いが、その憎しみが、貴方の全てを奪うのよ!!」
甲高い声で笑う少女の声は、まるで泣き叫んでいるようだ。
遠くから様子を見守っていた店の客たちに抱えられ、引きずられていく少女を鋭い目で見つめて。泰成は何も言わずに背を向けた。
女の甲高い笑いが追いかけてくるような気がして、泰成は苛々と、やつ当たるかのような勢いで歩いていた。
――なんだと言うんだ、全く。
だから女の癇癪は嫌なんだ、と。不機嫌な顔で眉を寄せる。
元からそういうものを嫌悪している泰成だが、癇癪も何も、彼女たちにそれを起させているのは、泰成自身だ。
しかし彼にその自覚はない。