大きいだけの港は非常に入り組んだ場所にあって、大きな船では着岸が難しく、また西側から吹く強い風の影響で、毎日のように海が荒れる。いったん時化に入ると、地元の漁師でも船を出さないという、荒々しい海だ。
ただ広い港は倉庫の規模が大きく、しかも賃貸料が安いため利用されているが、実際に足を踏み入れる船乗りたちには、非常に評判が悪かった。
長い航海の後にたどり着いても、大して遊ぶところが無く、言い寄る女たちは皆、どこかしら陰気で、二言目には「自分を連れて行って」などと言い出す。たちの悪い女などは一度寝たくらいで「子供が出来た」と言い出す始末だ。
気軽に楽しく遊べる他の港とは、まったく質の違う港。ここで気軽に遊ぼうと思ったら、女をヒトと思わないか、よほど気をつけるかの、どちらかしかない。
荷物を降ろしても、ろくに遊べもせず、積み換えに利用するだけでは、船乗りたちのやる気も失せようというもの。だから彼らは、早々に仕事を済ませて、この港を離れようとする。
北と西の二方向を険しい山に、南を厳しい海に囲まれている。東の道など船乗りたちには必要がない。
町の人々は他者を受け入れる温かさを持たず、それどころか隙あらば利用しようとてぐすねを引いている。
こういう町の造りがそうさせるのか、ここに住む者には独特の暗さがあった。
町全体に閉塞感があるため、人々は排他的で、ことのほか差別意識が強い。
身分に対する考え方も古く、領主である侯爵夫妻が、今だにここまで絶対的な権力を誇っている場所を、泰成はほかに知らない。
荒々しい海を渡ってくる船の出入りが唯一の収入だというのに、町の人々は彼らがよそ者だといって、差別的な視線を向ける。そんな町で、元より陽気な船乗りたちに、はしゃげという方がどだい無理な話だ。
倉庫街の飲み屋で泰成が出会った船乗りたちには、なにか無理矢理に騒いでいるような、空々しさがあった。
これでは彼らに「行き止まりの町」と呼ばれても仕方ない。
「その上、いまやこの有様だからな」
泰成は店のドアに手を掛けたまま、今度は北側から町を見つけた。
いつもは陰気に町を行き交う人々さえ、なりを潜めて。静まり返った夕暮れの町には、人影が見当たらない。
通り沿いの家から飛び出そうとした子供が、中にいる母親か何かから襟をつかまれ、引き戻されていた。
泰成は肩を竦める。
どうやらこの状況でも飲みに出るのは、船乗りと自分くらいらしかった。
「…やってるんだろうな、おい」
ゆっくり扉を開けてみる。
この町で唯一ほっとさせられた店。年老いた店主が、顔を覗かせた泰成に向かって「いらっしゃい」と、穏やかに微笑んだ。
驚くような話だが、この町で笑顔を向けてくれる店は、さっきの少女がいた飯屋と、いま泰成がいるパブだけなのだ。
二ヶ月も足止めを食っているので、暇つぶしにうろうろと歩き回ったのだから、間違いない。
あとは彼の滞在しているホテルの支配人くらいか。支配人は他の町から派遣されている人物で、着任してまだ五年ほどだと言っていた。
「貴方がこの町の生まれだというのは、いっそ奇跡だな」
苦笑いを浮かべる泰成がカウンターの端に座ると、グラスを磨いていた店主は肩を竦めていた。
「また何かやらかしたのかい」
「私が?冗談じゃないな。物分りのいい娘に豹変されて、迷惑をこうむったのは私の方だ」
「我が身を振り返ることだ、お若いの」
ふっと店主の口元を掠める苦笑いに、今度は泰成の方が肩を竦める番だった。
振り返って店を見回してみるが、他に客はない。
「不景気だな」
「まったく」
「何がそんなに恐ろしいんだか」
「誰だって命は惜しいだろうさ」
「貴方は?」
「こんな老いぼれが命を惜しんでどうするね?」
酒棚から一本の瓶を取り出し、ゆっくりと注いで泰成の前に置いてくれる。こういう呼吸のやりとりは、ほんの二ヶ月前まで当たり前のものだった。
ただでさえ陰気な町が、いっそうの暗さを帯びたのは一ヶ月半前。それまでに起きていた何件かの事件が、不気味な関連性を持って、姿の見えない一人の犯人を描き出してからだ。
グラスに口をつけた泰成は、父よりもむしろ祖父の年に近い店主を見つめて、口元を歪めた。
「そう言ってくれるな、私が困る」
「ほう?」
「貴方がいなくなっては、私の行くところがなくなる」
「それはありがたいね。…なんだ、さっきの話はサリーのことか?」
金色の髪をした少女の名を名を言い当てられて、泰成は「そういえばそんな名だった」と呟いた。
「まったく…あの子が豹変するなんて、一体どんなひどいことをしたんだね」
「別に」
「サリーも気の毒に。そのうち船乗りたちから刺されるぞタイセイ」