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彼が同じ酒を注いでくれるのを見つめながら、苛立つ心を落ち着かせる。
こんなことで、自分を捕まえられるなんて思っているなら、それはあまりに泰成を侮っている証拠だ。
「今は、返事待ちだ」
「返事?」
「ああ。こんな馬鹿なこと、いつまでも続けさせるつもりはないからな」
泰成が書簡を送ったのは、首都にいた頃知り合った何人かの貴族。彼らが動けば、来週早々にでも、ここを出られるだろう。
力の使い道なら、自分の方が勝っている自信がある。こんな僻地の領主程度に、泰成の自由を奪うことなど出来ないのだと。絶対にわからせてやる。
「…随分な自信だな」
「まあな。…私のやることに口を出したらどうなるか、知らないなら教えてやるだけだ」
にやりと笑う泰成の前で、店主はやれやれと、無言で首を振っていた。
この国で、泰成のような日本人が傲慢に振舞うなどということは、本来ありえない時代だ。しかし彼に、そんなことは関係ない。
祖国の状況に萎縮するような神経の持ち主なら、そもそもこの国へ来るような事態になってもいなかっただろう。
日本が歴史的な大敗を記したのは、つい先年のこと。
少しでも人々の生活を守るため、未来に日本という国名を残すために、大人たちが走り回っていたその中で。
泰成は「面白そうだから」というだけの軽い気持ちで、日本国民の全てを危険に晒すような遊びに手を出した。
確かに泰成は恵まれている。
家柄だけではなく、容姿にも才能にも恵まれている。
祖父には身体の弱い父親より溺愛され、幼い頃から何をしても怒られたことがない。唯一、口うるさく言うのは現当主の家令(かれい)だけだが、それすらも泰成は、祖父と共にそのうち隠居すると、たかを括っている。
しかし世の中には、絶対にやってはならない事というものがあるのだ。
どれほど家名が大きく、どれほど金があったって。取り返しのつかない事がある。
……泰成には、いまだにわかっていないようなのだが。
深く深く、誰よりも孫を溺愛しているのが事実だとしても、相手は占領軍だ。笠原家の当主とはいえ、ついに祖父も馬鹿孫を庇いきれなくなって。
大慌てで日本を放り出した背景には、占領軍からの圧力もあった。
留学という名目の元にこの国へ送り出したのは、祖父の最後の慈悲だったのだが、その思いが泰成に届いていないのは、言うまでも無い。
笠原家は遡ると、関が原の戦いにも名を連ねたほど歴史のある、名家だ。
その権力は歴史に呑まれず、拡大しこそすれ、いっこうに衰えることなく昭和まで来ていた。
代々直系の長男が跡を継ぐ制度を採ってきたが、それが一度も崩れなかったのは運がいいというより、奇跡に近いだろう。
笠原家当主の地位は祖父から泰成の父に受け継がれ、泰成自身に受け継がれる。それは、彼が生まれる前から決まっていること。
どんな傍若無人に振舞っていようと、我がまま勝手に生きていようと、笠原家の長男として生まれたというそれだけで、泰成の未来は保証されている。
彼の揺らがない自信は、間違いなくその生まれた環境が形成していた。
誰であっても、自分に逆らえる者はいないのだと。それを己の実力のように勘違いしているのが、そもそも泰成の幼さなだ。しかし彼自身が、それに気付くことはないのかもしれない。
店主は酒棚を振り返る素振りで泰成に背を向け、表情から笑みを消した。