【この空の下に@】 P:07





 この町で唯一得られる穏やかな時間を味わって、泰成は再び町を歩き出していた。
 毎夜のように適当な女と過ごしている泰成だが、今夜くらいは滞在先のホテルへ戻るのもいいかもしれない。
 泰成の供にと、一緒に日本を追い出された従者は、まだ十五の子供だ。
 たまには彼のために時間を割いてやるかと、時間などまるで気にせず泰成は歩き出していた。もうとっくに寝ているなんて、考えもしない。そういう勝手な男なのだ。
「本当に誰もいないんだな…」
 大通りを歩きながら、静まり返った裏道を覗き込む。
 酔っ払いや、娼婦くらいいても良さそうなのに。いっそ警邏しているはずの、警官さえ見かけない。
 怠慢じゃないのか?
 こんなことで、殺人鬼など掴まるはずはないだろうと。
 考えながら歩いていた泰成の耳に、空気を震わせるような銃声が届いた。



 君子は危うきに近寄らないものだが、泰成は目を輝かせて音のした方へ向かう。つまらないことばかりの夜に、ようやく気晴らしを見つけた気分だった。
 普段からそうなのだが、泰成にとって、世界のほとんどが曖昧で面白味のないものなのだ。
 一切の努力というものを、したことがないのだから、仕方ないかもしれない。
 何かに対して熱く取り組んだこともないし、懸命に何かを求めたこともない。
 常に面白がっているようでいて、泰成の興味を引くものなど、めったにない。
 だからこそ泰成は、貪欲に何にでも首を突っ込み、自分勝手に飽きては放り出している。
 日本にいた頃から、女も男も泰成に媚びへつらい、少しでもいい思いをしようと身をすり寄せていた。それがわかっていてなお、札束で人の面を張るようなことを平然とやる、泰成なのだが。
 まだまだ日本人への風当たりが強いこの国でも、倣岸不遜な泰成の振る舞いはまったく変わらない。
 首都にいた頃からもうそんな調子で、誰かの女だと聞けば、好みではなくとも口説いてみたり、貴重な物だと耳すれば、わざわざ壊してみたり。
 そんなことばかり繰り返すから、当然多くの敵を作るのだがしかし、不思議と泰成の周囲からは人が離れていかないのだ。
 ……この男の、魅力なのかもしれない。
 泰成は確かに無茶苦茶で、自分のしたいことしかしないが、その分、裏表がないのも事実だ。他人に対して気遣うことがないということは、繕うことがないのも同じこと。

 銃声を聞いて、そちらへ歩き出した泰成は、己の身の危険など考えていなかった。
 どんな凄惨な現場を見られるだろうと、悪趣味なことしか考えていないのだ。
 己を過信するあまり周囲に迷惑をかけているという、自覚がない。才能に恵まれ過ぎると言うのも、なかなかに厄介なことなのだろう。

 ひょいと路地裏を覗き込んだ泰成の耳に、続けざまな銃声が聞こえた。
 銃を手にしているのは警官だ。そっと身を潜ませながら見守っていると、警官は何度も何度も倒れている男に弾を打ち込み、やがて弾倉が空になったのか、カチカチと乾いた音を拳銃にさせ、荒い息をついていた。
「化け物め…っ!」
 吐き捨てるような、汚い言葉。
 警官は倒れている男を憎憎しげに見下ろし、泰成の存在にも気づかずそのまま走り去った。

 一部始終を見ていた泰成が首を傾げる。
 例の殺人鬼だろうか?毎夜のように、警官たちが町を警邏しているのは、知っているが。ようやく犯人を見つけたのか?
 いやしかし、犯人を追っていたにしては、あまりに執拗な攻撃だった。
 それに警官が、犯人の死体から逃げ出すなんて。仲間の到着を待ったり、現場を保持したりしないものなのだろうか?
 不思議に思って立ち止まっていた泰成は、次の瞬間ぎょっとして目を見開いた。

「な……っ!」
 思わず声を抑え、息を詰める。
 撃たれていた男が、ゆっくり立ち上がったのあ。
 彼は何事のなかったかのように、血だらけになった上着を脱ぎ、泥のついた膝を払って、溜め息などついている。
 ……ありえない。
 男の手にしている上着を染めた赤が、確かに撃たれたのだということを物語っているのに。
 呆然として男の姿を見つめていた泰成は、振り返った彼とまともに目を合わせてしまった。

 しかし驚いたことに、動揺したのも恐怖の表情を浮かべたのも、泰成ではなく相手の方。だが彼は、すぐに冷静さを取り戻すと、眉を寄せて泰成に背を向ける。
 泰成は慌てて彼を捕まえた。
「待ちなって」
「離せっ」
 互いにこの国の言葉で怒鳴りあったが、彼を覗き込んだ泰成は、ひょいと眉を上げた。
「…もしかして、日本人か?」
 とてつもなく綺麗な顔をしていて、華奢な身体をしている男は、一見すると国籍不明に見えるけど。間近で確かめれば、馴染みの深い黒瞳に黒髪。