撃たれた彼が死ななかった、ということは確かに不思議な現象だが、この自分が彼の偉そうな態度を許していることは、もっと不可思議で、理解出来ない事態だった。
初めて出会ったあの夜。
自分を無視するような淡々とした言い方は気に入らなかったが、しかし突き放したいと思うほどの怒りはなかった。
祖父が自分を子ども扱いする時でさえ、泰成は苛つき、噛み付いてしまうのに。彼の言葉は自分でも不可解に思うほど、すんなり頭に入ってきた。
誰に口を聞いているんだ、と血を上らせた泰成に、彼は静かな声で「お前だ」と囁いた。
ほっそっりとした指で泰成の胸を指し、まっすぐな瞳で泰成を射抜いた。
――僕の目の前にいる、お前だ。
泰成が他人の、いや笠原(カサハラ)の名を盾にしていると、指摘し嫌味を言う人間は、今までにもたくさんいた。しかしそのたび、泰成は「だからどうした」と、冷たく言い放ってきた。
笠原家の人間だから偉そうな事が言えるんだろうなんて、そんなもの負け犬の遠吠えでしかない。
泰成が笠原家の人間だと言うことは事実であり、揺るがないものだ。
その名の威光が恐ろしくないなら、若造の言うことなど聞かなければいい。お前の言うことなど知ったことではないと、受け流してしまえばいいのに。
泰成は自分が完成されていることを、自負している。
力があるのは、笠原の名前じゃない。その名の使いどころを知っている、泰成自身だ。自分が優秀であり、力を持っていることを、泰成は知っている。
しかしそんな、自分の手にしている力など、少しも彼には通用しない。どんなに身体を自由にしたって、勝った気が少しもしなかった。
泰成は我知らず、足元を見つめて溜め息を吐く。
滑り込むように、音もさせずに心の奥まで入り込み、彼はいつの間にか泰成の心臓を、鷲掴みにしてしまった。
美しい黒瞳に射すくめられた時、泰成は初めて他人が、自分という人間を見つけてくれたような気がした。
笠原家の跡継ぎじゃない。
父の名も祖父の名も関係ない、泰成自身のこと。
それはもしかしたら、ずっと待ち望んでいたことかもしれないのに。いざ目の前にすると、どうしていいかわからない。
今まで感じたことのない、静かな動揺が泰成を侵していく。
彼は自分の何を知っているんだろう?
少なくとも泰成が知っているのは、彼の細い身体と、甘く響く喘ぎ声。
あとは底が見えないほど美しい、黒い瞳ぐらいだ。