「…結局は逆戻りか」
再び冷たい牢へ連れて行かれ、今度は秀彬と一緒に、泰成までその中へ入れられてしまった。
一応は泰成の立場も考慮されているのか、ランプに火を入れ、執事を筆頭に館の者が引き上げていく。
がしゃん、と。外側から重い鍵の音。
獣が唸るような声に目を凝らせば、僅かな明かりの中、奥の牢に通り魔殺人犯と、その父親の姿が見えた。
「どうするつもりなんでしょう…」
「さて、ね。慌てても始まらないさ」
秀彬の手前、そんな風に言ってみるが。泰成もいくぶん混乱していて、考えが纏まらない。
さて、本当にどうしたものかと。
思案する泰成の耳に飛び込んだのは、懐かしいような声。
「…悠長なことだな」
闇にまぎれていた男は、ゆっくりと何かから立ち上がり、ゆらりと揺れる明かりの下に立つ。
そうして壁に掛けられていたランプを開けると、中の蝋燭を取り出して、他にも掛かっていたランプに火を入れ始めた。
少しずつ、明るくなっていく牢の中。
一番奥まで行って、戻ってきた男の姿に、泰成は声を上げた。
「惺…!」
まさかと目を見開く泰成の前に立ったのは、確かに美しい細身の肢体。
「ど、どうしてここに!?」
「どうして、だと?結局は捕まっているくせに。最初に言うのがそれか?」
惺は不機嫌そうに目を細め、出て行くような素振りを見せる。鉄格子を掴んだ泰成は、慌てて首を振った。
「いやいや、待ってくれ。単純に驚いているだけだ」
「ふん…」
拗ねた顔で腕を組んでいる惺は、不思議そうに二人の顔を見比べている秀彬に気付き、柔らかく笑いかけた。
「怪我はなさそうだな」
「は、はい」
「ああ、そうだ。泰成の許可は貰ったが、君の服を借りているよ」
「いえ…あの」
「僕の服を買いに行って、こんな目に遭ったそうだな。済まないことをした」
鉄格子の間から手を伸ばし、惺が微笑みを浮かべて秀彬の頭を撫でる。
誰にも懐かない秀彬は、いつだって今日の昼間、この惺に噛み付いたように、警戒心を解かないのに。ほっそりとした手に頭を撫でられると、見る間にくしゃあっと顔を歪めた。
「っ…ひ、う…」
「怖かったね」
泰成は二人の様子に、呆気に取られぽかんとしてしまう。
――今日、一番驚いたかもしれない…
秀彬が自分以外の人間に宥められ、泣いているなんて。
「あんたは本当に…どういう人なんだ…」
姿形の美しさももちろんだが、自分と言い秀彬といい、どうしてここまであっさりと、心を掴まれてしまうのか。
特別ありがたい言葉をかけるわけでもないし、聖母のように微笑むわけでもない。どちらかと言えば泰成は、不機嫌そうな顔ばかり見せ付けられている気がするくらいなのに。
「そんな呑気なことを言ってる場合か」
惺が片手で取り出し、ちゃり、と固い音をさせて見せているもの。それは確かに見覚えのある、鍵束だった。
「…だから何で、あんたがこんなものを持ってここにいるんだ?」
「いらないのか?」
「そうじゃなくて!」
「素直に感謝できないのか、お前は」
うんざりしたように言うが、泰成の疑問だって当然のはずだ。
ホテルで別れたはずの惺が、侯爵の館の裏庭にひっそりと、しかも番人つきで立っている牢の中で待っているなんて。その上、どこで手に入れたのかここの鍵まで。
ゆっくりと格子の戸を開け、惺は秀彬を出してくれている。
短時間に二度も同じ牢を出入りするなんて、こんな珍しい経験をするのは、後にも先にも来栖家で秀彬くらいだろう。
やれやれと溜め息をついた泰成が、秀彬に続いてそこを出ようとした時、じっと眺めていた惺がいきなり扉を閉めて、そこに寄りかかってしまった。
「っ?!…惺?」
「そういえばお前、この子に自分の勝手を詫びたのか?」
「はあ?!…いや、今はそんなことを言ってる場合じゃないだろ」
鉄格子を掴み、惺の顔を覗きこむが、相変わらず彼は不機嫌そうに眉を寄せて泰成を睨んでいた。
「惺、おい」
「…お前、そういうのが一番、嫌いだろ」
「そういうのって…」
「自分のしたことを省みて、間違いを認め、誰かに詫びる。一度くらいはしたことがあのるか?御曹司」
じろりと視線を鋭くされて、泰成はうっと言葉を詰めてしまった。
指摘は的を射ている。確かに泰成はそういうのが苦手で、自分の非に気付いても、うやむやにしてしまったり、あまつさえ強引に相手のせいにしてしまったりすることもあるけど。
……だから、それは今じゃなくても。
「あの…いいんです」
躊躇いがちに惺の腕を掴んだのは、先に救い出されている秀彬だった。
「…こういうのは、甘やかすとどこまでも図に乗るぞ?」