「いや…そんな強引でもなかったと思うんだが。なあ?」
「十分強引だったと思いますけど…だって泰成様、スミス様の目の前で予定していた帰国の船のチケット、破っちゃったじゃないですか」
秀彬にバラされ、惺に睨みつけられた泰成は、居心地悪そうに店主の方を向き、二人に背を向けてしまった。
いや、さすがに泰成もあのときは、こんなことになるなんて、思いもしなかったのだ。
立場を弁えないスミスの、横柄な態度に腹が立って。かあっときた泰成は、意地でもこの町の港から帰国してやろうと、勝手に決めてしまった。
スミスの目の前で帰国便の乗船券を破り捨て、一度は侯爵が約束したことじゃないかと言い放ち、約束を守れないなら、もっと高い爵位の友人に事情を話して、帰国の手配をしてもらうと。
それはその、聞き様によっては脅迫のようなものかもしれない。
今の状況は全部お前の、無謀な行動の結果かと、煩く責め立てる惺の声から耳をふさいだ泰成に代わり、秀彬が一生懸命惺を宥めてくれている。しぶしぶ黙った惺はどうやら、秀彬のような少年に弱いようで。
覚えておこう、とこっそり考える泰成は気を取り直して店主に向き合った。
老人には今までの日本語がわからなかったのだろう。ぼんやりとした視線で、泰成の方を見上げている。
「あなたの知ってることでいい。教えて欲しいんだ」
この国の言葉で語りかける泰成に、老人は溜め息を吐く。それを了承と受け取って、何かを整理するように、泰成はしばらく黙っていた。
「…最初の通り魔殺人が起きたのは、我々と侯爵がこの町に着く前だろう?」
黙って頷くだけの店主に代わり、惺が後ろで「そうだ」と呟いた。
「僕がこの町に来たのは三ヶ月ほど前だ。ちょうどその頃に、最初の殺人が起きた」
「町の様子は?」
「騒然とはしていたよ。警察の犯人探しはその頃の方が熱心だったくらいだ」
「ああ。…そうして、我々が町に着いた。侯爵夫妻はここに泊まるよう薦めたが、私たちはそれを辞してホテルに滞在した」
「…奥様は、随分残念がっていらっしゃるように見えました」
遠慮がちな秀彬の言葉に、泰成は溜め息をつく。
「残念がるなんてもんじゃなかっただろ、あれは。服が破れるくらいの勢いで掴みかかってきたからな」
必死の形相で泰成に縋る彼女の姿は、首都で気だるげに火遊びを楽しんでいた彼女とは結びつかないほど、豹変していた。
「そこへ正体不明の連続殺人だ。町は閉鎖され、誰も出られなくなった。なあ店主…これは本当に、侯爵の命だったのか?」
「泰成、どういう意味だ」
尋ねる声に答えず、自分の中にある仮定を確かめるように、泰成は店主を見つめている。
「町を封鎖し、殺人犯を警戒はしても追求はしないよう指示を出した。殺人が続けば犯人が捕まらない限り、町を封鎖しておける」
「…………」
「しかしそれは、町の人々を危険に晒すことになるだろう?あんたの息子が私を襲う可能性などわからないし、実際私は毎晩で歩いていたが、一度も現場に出会わなかった。惺に会った昨日の夜は、あんたの息子にとっても色々とイレギュラーだったはずだ」
一度殺したはずの惺に会わなければ、昨晩は誰も殺されなかったかもしれないし、別の誰かを狙ったかもしれない。
泰成を町から出さないことが封鎖の理由だと言うなら、あまりにもやっていることが遠回りだ。
「町が封鎖されている、本当の理由は何なんだ」
俯いていた店主が、ぼんやりとした視線を上げる。
「店主…私にはあの侯爵が、町の人々をこんな危険に巻き込むなんて、どうしても信じられないんだよ」
物静かで、おとなしい侯爵。彼がこんな大それたことをするとは思えない。
店主は溜め息を吐き、かさかさに乾いた唇を開いた。
「…スミス様だ」
「執事が命じているのか」
「ああ…この町を真に支配しているのは、スミス様なんだ…」
辛そうに目を閉じる老人は、息子の咆哮に瞼を上げる。
身体をねじって、もう誰の言葉も届かなくなってしまった青年を見つめていた。
ああ、この子を連れて逃げていれば良かったと。店主はいまさらな事を考え、泣いている。
行き止まりの町に生まれた青年たちは、港に立ち寄る自由な異国の若者が、どんなに羨ましかったろう。同じ町に生まれながら、違う運命を選ぶことの出来る、自分たちをどんなに憎んだろう。
「スミスは何がしたいんだ…」
穏やかに尋ねる泰成の声に、老人は振り向こうとしなかったけど。惺の位置からは彼が、悲しげに目を細めているのが見えていた。
「殺された人々に関連性がないなんて、この町の人間は思っちゃいない…息子の手にかかった者には、町の人間なら誰でもわかるような繋がりがある」