【この空の下にC】 P:09


 老人がそれに気付いたのは、何人目だっただろうか。あの時は、自分の息子も被害に遭うんじゃないかと恐れたものだった。
 自分は大丈夫だ、と寂しげに微笑んでいた息子。家にいるよう訴える父に、仕事があるからと毎夜、暗い町へ出て行った。
「殺された者たちはみな、血の違う者だ」
「血が…違う?」
「そうだ。彼らの祖先はみな、他の地からここへ来て住み着いた者ばかり。流れ者のなれはてなんだよ…」
 まさかスミスが、こんな恐ろしいことを考えているなんて。愚かな過ちに、息子が巻き込まれてしまうなんて。
「息子のジェフリーは、確かに心を病んでいたようだ。最初の犠牲者は、息子の独断で殺された。しかしその後、ジェフリーに犯行を重ねさせたのはスミス様だ」
「スミスは、何がしたいんだ」
 ゆっくり振り返り、異国の若者三人を順に見つめた店主は、泣きながら何度も何度も首を振る。
 祈りを捧げるように組まれた手。
「…浄化だ」
「じょう、か?」
「ああ…スミス様はこの町を浄化なさるつもりなのだ…ジェフリーに、違う血を持つ者を一人残らず殺せと命じておられた」
 泰成のことを報告しに来た領主館で、偶然聞いてしまった話。店主はにわかに信じられなくて、そこから逃げ出してしまっていた。

 暗い声で紡がれる言葉に、泰成たちは顔を見合わせ首を傾げていた。
 確かに辻褄は合っているようだけど。どうにも現実感に乏しく、信じられない。
 戸惑う青年たちを見て、苦笑いを浮かべた老人は「信じられんだろう?」と呟く。
「こんな話、お前たちのような外の人間には、理解出来んだろうな」
 老人は遠くを見るように、目を細める。
「この町は、あの荒々しい海に守られている。海の恵みなくしては、生きていけない。なのにどうだ…あの海は、気まぐれに荒れ狂い、時には海抜の低い町を飲み込むことすらある…」
 たった二ヶ月や三ヶ月の滞在では、あの海の恐ろしさを知ることは出来ないだろうけど。
 店主はほうっとした瞳に泰成を映し、口元を吊り上げた。
「どうすると思う?」
「どうって…そりゃ建設的に考えるなら、護岸を工事するとか、他に産業を興すとかしかないだろ」
「それはなあ、お若いの。外の人間の考えることだ。この町の人々は、領主様が侯爵の爵位を得られる前から、あの海と戦っておったんでな」
 牙をむく自然。
 届かない祈り。
 救いの見えないその中で、この町に住む人が導いた答え。
「…生贄をな…捧げるのさ…」
「生贄?!」
 聞き慣れない言葉に驚いて、泰成は耳を疑った。
「あんた、今が何世紀かわかってんのか」
 そんな物語じみたこと、信じられるはずがないと。視線を鋭くする泰成は、同意を求めるように振り返り、惺を見て固まってしまう。

 いつからそうしていたのか、惺は真っ青になって、唇を震わせていた。
 まるで自分がその生贄に、指名されたかのような。
 恐怖に怯えた顔で老人を見つめている。

 肩を抱かれていた秀彬には、その震えが伝わったのだろう。少年は躊躇いがちに惺の腕を掴んだ。
「どうされたんですか…あの…」
 困った顔で、泰成に助けを求めている。
 泰成はすぐに立ち上がって、惺の身体を抱きしめた。
「おい惺?…どうした、惺?」
「だれ、を…」
「え?」
「誰を、生贄にするんだ…」
 うわ言のような声は、抱きしめる逞しい腕に縋りながらしかし、老人に向かっていた。何を知るのか、老人は、哀れむように惺を見ていた。
「…領主様さ」
「…………」
「領主様が、犠牲になる。…いや、領主様だけじゃない…領主様と共に、町の者も海へ身を投げる」
 ぐらりと傾いだ惺の身体を、泰成がしっかりと支えた。
 美しい東洋人の若者が、まるでその光景を目にしたかのように恐怖しているのを見て、店主は曖昧な笑みを浮かべる。
「海は荒れなくとも、領主様が亡くなられた時には、そのご遺体を海へ捧げる。代々この町で生きてきた者は、一族のうちの誰か一人を、領主様の供に差し出す。…我が家のように、他所から流れ着いたものは駄目だ…血が穢れている、と。そう考えられておるからな…」
「馬鹿なことを…っ!そんな因習を、まだ続けているとでも言うのか?!」
「そうさ…先代様が亡くなられたとき、わしもこの目で見た…」
 老人は笑いながら泣き、泣きながら震え、苦しみに唇を噛み締めて、拳を握りしめていた。

 他所の人間が、どんなにその因習を愚かだと思っていても。海に縋って生きる町に人々には、逆らえない習わしなのだ。
 先代の領主が死んだとき、その遺体と共に海に身を投げた者の中には、店主の友人も何人かいた。一族の誰が選ばれるかはその家によって様々だが、女や他国の血の入ったものは海が穢れるといって、犠牲にならない。