滞在中のホテルは、最近この国の首都で一番人気のあるところだ。
今までは豪華さと価格で、貴族たちばかり相手にしてきた業界の中で、初めて心のこもったもてなしを提供するために、庶民でも喜んで受け入れると表明したホテル。
しかしそれでも、一番高い客室を陣取って、泰成は秀彬や惺と共に、優雅な暮らしを続けている。
帰る気のなさそうな泰成に、今の生活が楽しいのか秀彬まで同調している始末だ。
当初の目的どおり、昼は地元大学の講義に出席し、夜になれば惺の身体に溺れたり、秀彬と一緒にその昔話を聞きだしたり。
あまり自分のことを語りたがらない惺なのだが、秀彬に大きな瞳を潤ませて嘆願されたり、泰成の巧みな話術に飲み込まれたりして、ぽつぽつと話をするようになっている。
なぜ泰成では駄目なのかも、結局は話してくれた。
運命の相手を探さないのかと尋ねた泰成に、惺は哀しげな顔で首を振る。
大きな罪を犯した自分は、こんなことでしか贖えないのだと。そう話す惺の傍で、秀彬が涙を零していた。
昨日の夜も散々、惺に喘ぎ声を上げさせていた泰成だったが、目を覚ますと腕の中に麗しい姿がない。
「…惺?」
ぼうっと呟き、ガウンに腕を通して、寝室を出る。
この客室は、泰成と惺の使っている主寝室に、秀彬が使う副寝室と、リビングダイニングにパーティルームまでついている豪華さだ。
リビングダイニングに顔を出した泰成は、仲良く日本食をつつく二人に、拗ねた顔を見せた。
「仲の宜しいことで。…私を置き去りにして、二人で朝食か?」
むうっと話しかけた泰成を振り返り、惺はだらしない、と眉を寄せている。
「お前が遅いんだ」
「だって、もうお昼ですよ。泰成様」
二人に責められ、肩を竦めた泰成は皿の中身に目をやって首を傾げた。見覚えのない料理は、何か野菜の炊きものようだが。
「なんだ?これ」
「惺様に教えていただいたんです。すごく美味しいんですよ!すぐ準備しますね」
嬉しそうにダイニングへ立つ秀彬の後姿を眺めながら「肉が食いたいなあ」と呟くと、隣の惺に呆れられてしまった。
「起き抜けに何を言ってるんだ、お前は」
「…あれだけやっておいて、元気だなあんたは」
昨日の夜は精根尽き果てるくらい、睦み会っていたのに?と。ぼそぼそ呟く泰成は「下品だ」と惺に叩かれる。
それでもその手を取って、惺の唇を塞ぐ泰成は、外からの呼び鈴に顔を上げた。
「なんだ?来客の予定があったか?」
「いえ、そんな予定はありませんが…」
慌てて皿を置き、身支度を整えようとする秀彬を制して、惺が立ち上がった。
「いい、僕が出る」
「え、でも」
「いいんだよ。早くその、飢えたケダモノに何か食わせてやりなさい」
言い捨てて来客の元へ行った惺は、しばらくして戻ってくると、泰成の箸を取り上げた。
「惺?」
「とっとと着替えて来い」
「は?…いや、食事を…」
「いいから早く着替えて来いっ!秀彬、お茶の用意を」
「あ、はいっ」
急かされ追い立てられた泰成は、寝室で身支度を整え、通された客に対峙する。
「あなたは…!」
まだあの、行き止まりの町を出てから一ヶ月だというのに。穏やかな微笑を浮かべる紳士に、懐かしささえ覚えた。
深く頭を下げるその人物は、あの町で世話になった、ホテルの支配人だったのだ。
自分を訪ねてくれたなら、客人だから。ホテル支配人と泊り客ではなく、対等に向き合う泰成に、しばらくは恐縮がっていた支配人だったが、あの町の話を始めてようやく落ち着いたようだ。
シルヴィアを救い出した後、間をおかずに泰成たちは首都へ戻っていた。
スミスの殺害を警察に届けようとしていた侯爵だが、周りの反対もあって、穏便に済ませたらしい。その分、夫妻は町の為に尽くすと、荒々しい海に頼らない町づくりを模索すると話したそうだ。
また牢で、一時的に正気に返ったジェフリーだったが、やはり心を病んでしまったようで。今は子供のようになって、父親である店主に甘えているらしい。
行く末を案じる店主に、侯爵夫妻が彼の行く末を保障したという。
結局は人柱など立てなくても、時間がたてば海は平穏を取り戻し、船が着岸して荷の積み下ろしに忙しなくなっているという行き止まりの町。
人々は通り魔の恐怖からも、生贄の不安からも解放されて、明るさを取り戻しつつある。
支配人の話に、ほっと息を吐いた泰成は、彼に笑いかけた。
「では今日は、それを伝えにわざわざ?」
申し訳ない、と続ける泰成に首を振った支配人は、目を細めた。
「実は私、あのホテルを離れることになりまして」
「そ、れは…また」
「いえいえ、次はこの首都で、新しい職に就くことになりました」