【この空の下にA】 P:09


 こんな朽ち果てた場所にこそ相応しい、美しく不思議な、不死の男。

「物語のページでも繰っているようだ」

 ここにある全てが、幻想に満ちている。
 夢心地に囁く泰成の顔を、彼は侮蔑を込めて睨んでいた。

「おとぎ話が恋しいなら、国へ帰って母親にでも甘えていろ、坊や」
「ははは。私にそんなことを言うのは、あんたぐらいだよ」

 抵抗するでも、受け入れるでもない、投げ出された身体をゆっくり撫でて、泰成は彼のシャツを開いていく。

「それに、残念ながら私には、そんな優しい母親などいないのでね」
「…そう、か」

 泰成は訝しそうに首を傾げ、目を逸らす彼が自分の言葉を悔いているのだと知って、思わず破顔した。
 なんだろう、この男ときたら。
 いつ会っても厭世的で、何を言っても噛み付くか無視するかしかしないくせに。時折こうして、切なげな表情を浮かべたりする。

「そういう意味じゃない」
「何がだ」
「母親なら国で元気にしているだろうさ。ただ子育てには不向きな人でね。社交界の花であり続けたいらしい」
「………」
「毎日忙しく、子供に構っている暇なんかない。それだけのことだ」
「お前…」
「ありきたりな話だろう?」

 だからあんたがそんな、痛ましそうに私を見る必要はない。
 泰成は囁きながら彼の肌に唇を寄せた。
 何度撃たれても傷を残さなかった、不思議な身体の影響なのか。どんなに強く吸い付いても、その赤みはやがて、すうっと消えてしまう。
 次の晩まで残るような痕を残せないのは残念だが、泰成はこの不思議な現象をけっこう気に入っていた。

 脇腹を撫で上げながら、胸の尖った所に舌を押し付けていると、ふいに泰成の短い髪が引っ張られる。

「泰成」

 珍しく名を呼ばれて、驚いた泰成は顔を上げた。

「…どうした」
「お前、兄弟は」
「兄弟?ああ、弟が二人」
「そう…か」

 強い光を閉じ込めたような、彼の黒い瞳が、ふうっと寂しげに柔らかくなる。
 苛立ちに柳眉を逆立てるのとも、快楽に喘いでいるのとも違う、初めて見た素直で悲しげな顔だった。
 泰成は自分の胸が震えるのを感じて、経験のない衝動に首を傾げる。

「どうして、いるんだ?」
「何が」
「お前の弟たちは」
「?…さて。下の弟はまだ十になるやならずだ。元気に遊んでるんじゃないか?」
「………」
「上の弟は私と年子でね。頭が悪いくせに人一倍、野心家だ。洋行中の長男が死んでくれないものかと祈ってる最中だろう」