【この空の下にD】 P:03


 泰成に言われてカップを置いたものの、惺はやはりお茶を拒絶された女のことも気になるようだ。
 仕方なく泰成も、一度は押しやったカップを手に取った。

「泰成?」
「別にここの茶が悪いんじゃない。この街の茶葉が、好みに合わないだけなんだ」
「…そんな繊細なこと、お前なんかにわかるのか?」
「言ってくれるじゃないか。私はこれでも舌が肥えている方だと思うぞ」
「ふん…」
「我々の口には甘すぎるだろ…あんただって、こればかり飲んでいると祖国の茶が恋しくならないか?」

 何気ない言葉だったが、ふいっと下を向いた惺が、少し悲しげな表情を浮かべる。
 それを見て、泰成は慌てたように言葉を継いだ。

「ようやくあんたの喜ぶ顔を見られそうだな。帰ったら用意させるよ」
「…どういう意味だ」
「祖国の茶、しばらく飲んでないんだろ?私の従者は茶を淹れるのが上手くてね」

 にこりと微笑む泰成を、戸惑う表情で見ていた惺だが、はっとして眉を寄せた。

「帰ったらって、いつまで私を付き合わせるつもりなんだ」
「あのなあ、惺。この街にいる間、少なくとも例の殺人鬼が捕まるまでは、私の元にいてもらうぞ」
「冗談はやめろ」
「何を言ってるんだ…あんたが殺人鬼じゃないことは誰より私が知っているが、しかしそれを証明することは出来ないだろ。もっともあんたが殺人鬼だと証明する術もないがね」
「だからって…」
「金の力とはいえ、私はあんたの身柄を引き受けたんだ。事件が解決するまで、お互いこの街に足止めだな」

 自分勝手に惺を連れ出しておきながら、まるで惺の為に自分が足止めされるのだとでもいうような言葉。しかし効果はてきめんで、惺はむつりと黙り込んでしまった。
 こういうやり取りとなったら、泰成に敵う者はなかなかいない。
 居心地悪そうに周囲を見回す惺を、泰成は可笑しそうに見守っていた。

「…慣れないか?」
「何が」
「こういう所。あまり来ないんだろ」
「用がない」

 きっぱり言い放った惺に、泰成は肩を竦める。惺のように人目を忍ぶ生活をしているなら、身元を確かめたりしない娼館は、格好の隠れ家だと思うのだが。

「まあ私も、こんな風に娼婦を待つのは慣れてないな」
「言ってろ」
「女の方が私を放って置かないのでね」
「聞いてない」

 冷たい反応しか返さない惺を、あくまで面白がっている泰成が、何か言おうと口を開きかけた時。ロビーの中央にしつらえてある大きな階段の上から、女の足音が聞こえた。