……しかし、しばらく待っても外からは何の反応もなかった。
もう一度鳴らしてみる。
結果は同じだった。
「まったく、あいつは…」
いつまで拗ねているんだと、こちらの方こそ子供の顔で拗ねる泰成の頭を小突いて、惺がベッドを抜け出した。
きれいな裸身に泰成の手で剥がれた衣服を身につけ、静かに寝室を出て行く。
その後ろ姿を見つめながら、泰成は惺が秀彬の機嫌を取ってくれないものかと、都合のいいことを考えていた。
懐いている惺に宥められれば、きっと秀彬は泣きそうな顔でここへ現れる。そうして、詫びの言葉を口にするに違いない。
―――まあ、そうなれば気にするな、と言ってやればいいか……
それで全ては、元に戻る。
あとは自分が「気が変わったから、明日警察へ行ってやる」と言えば、彼は嬉しそうに微笑んでくれるはずだ。
そう、信じていた。
「泰成!」
部屋の外から大きな声で呼ばれ、泰成は首を傾げた。
少し待ってみても戻ってくる気配のない惺に、仕方なく自分もベッドを抜け出し、手近な所に置いてあったガウンを羽織る。
何か面倒な事でも起こっているのか。
億劫に感じながらも、ゆっくり寝室を出て。フロアを見回すと秀彬に宛がわれていた副寝室のドアが、大きく開いたままになっていた。
そこを覗き込んでみる。
きれいに片付いた部屋の奥、小さな机の前に惺が立って、一枚の紙切れを手にしていた。
「…どうした。秀彬は?」
「見ろ」
「?…なんだ」
訳がわからず、渡された紙に目を通す。丁寧な文字で綴られたその内容を読み進むうち、泰成は顔色を失っていった。
―――泰成様
長い間、お世話になりました。
最後まで御傍に仕えることが出来ず、申し訳ありません。貴方様の家令となるため生まれることが出来て、幸せでした。
二度と御目通り叶いませんが、どうか御身体ご自愛ください。
どれほど泣いてこれを書いたのか、最後に刻まれた「来栖秀彬」という文字は滲んで、読めなくなっている。
泰成は何度も短い文章に目を通し、ぎゅうっとそれを握り締めた。
「あの…馬鹿がっ」
苦しげに吐き出した言葉。
机の上に置いてあった辞書を手にとって開いていた惺が、じろりと視線を上げる。
「馬鹿はお前だ」
「惺…」
「そして、僕だな。あの責任感の強い子が勝手にお前の言葉を反故にするなど、ありえないと気付くべきだった」