【この空の下にI】 P:02


 そんな自分勝手な男は、どこへ行ってしまったのか。鏡に映った青年は、やけに背筋がしゃんとしていて、その姿を見ていると、我がことながら面映いような、複雑な感情にかられる。
 一つため息を吐いて、泰成は部屋の前に立った。
 扉を開けようとした彼は、ふと手を止める。少し前の泰成なら、扉は誰かの手で内側から開かれるものだと、信じて疑わなかったのに。

「自分で出来ること、か」

 ―――自分で出来ることは自分でやれ。

 煩く言い続ける惺の言葉を、いつの間にか実践している。苦笑いを浮かべる泰成の耳に、部屋の中から楽しげな笑い声が聞こえてきた。
 黙って扉を開けると、集まって笑っている三人のうち、一番手前にいた秀彬が物音を耳にして、素早く振り返る。

「おかえりなさいませ、泰成様!」

 にこりと微笑む表情は、この街を訪れる前よりずっと柔らかく頼もしくなった。
 そばへ来て泰成のコートと帽子を受け取り、労いの言葉を口にする。仕事に対する真摯な態度は相変わらずだが、その表情は今までになく、毎日楽しそうだ。

「ただいま、秀彬」
「お疲れ様でございました。いかがでしたか?警察の方は」
「ああ。やっとお役御免だ」
「では」
「もう自由にして構わないとさ。ようやく終わったな」
「はいっ」

 嬉しそうな顔を見ていると、泰成まで微笑んでしまう。封筒を手にしたまま上着を秀彬に預けてソファーへ近寄れば、長い三人掛けにいた惺が、何も言わずに隣を空けてくれた。
 自分のために場所が用意されているというのは、最近知った幸せのひとつ。
 惺は今までどおりの不機嫌そうな顔で、しかし最近は何かと泰成を労い、手を差し伸べてくれるようになった。

 沈黙の元に与えられる優しさは、幸せと切なさを、同時に与えるけど。惺が変わらずに言い続ける「お前ではダメだ」という台詞の意味に、泰成はもう拘らなくなっていた。
 初めて欲したものが与えられない辛さはある。でも手に入れられたものだけでも、十分泰成を幸せにしている。
 他人の幸せを願い、自分を犠牲にすることは、泰成がこの街で知った一番大切なことだろう。

 ゆったり腰を下ろし、息を吐く。
 泰成は手にしていた封筒を何も言わずにテーブルの端へ置き、前髪をかき上げた。

「お疲れね」
「まあな。…それで、何の話をしていたんだ?楽しげな声が外まで聞こえていたが」