【その瞳に映るもの@】 P:10


「調度品が豪華なのも、学費から?」
「それは…父兄からの寄付ですね」
「…高い学費の上に、寄付金まで集めて、まだ取るのか…」
「取るって言うか…父兄側には見栄みたいなものですし、歴史が古いんで、OBからの寄付も多いんです」
「へえ…お金持ちって、いるところにはいるんだなあ」
 何それ、嫌味?
 思わず視線を鋭くした僕のこと、先生は見ていないみたい。
「…先生だって、それなりの家の出なんでしょ?」
「?…どうしてそう思うんだい?」
 本気できょとんとした顔。
 今わかったけど。藤崎先生ってこうやって上目遣いに顔を上げると、正面から顔を合わせるより幼く見えるんだ。
「…嶺華に入職できる教員は、卒業生か何かしらコネのある人だけですから。嶺華の卒業生じゃないのは、今の話でわかりました」
 縁故入職なんだよねって、僕の方こそ嫌味のつもりで言ってみる。ああほんと、僕は嫌な性格してるよ。
 でも先生は気にした素振りも見せず、曖昧に笑っていた。
「大したことはないよ。今の校長先生が、母のファンだからね」
「…ファン?」
「ああ。藤崎伽乃子(カノコ)、知ってるかい?バイオリンを弾いてるんだ」
 その名前は、僕でも知っている有名人。校長先生ってば、公私混同だよそれ……。
「藤崎伽乃子さんの息子が、化学教師だとは知りませんでした」
「まあね。ぼくには全然、音楽の才能がないから」
 先生の言葉に、僕は思わず口を噤んでしまう。
 藤崎伽乃子といえば、両親はもちろん一族が代々音楽家で、音楽一家のサラブレッドと呼ばれている人だ。確か自身の夫も音楽家だったはず。
 余計なことを聞いてしまったって、顔に出たのかもしれない。藤崎先生はじいっと僕の顔を見て、急に肩を竦めた。
「そんな顔をするほどの話じゃないよ」
「何も言ってないです」
「ぼくには本当に音楽の才能がなくてね。学生の演奏と母の演奏さえ、聞きわけが出来ない。もっと言えば、バイオリンとビオラだって、一緒に聞かなければ違いがわからない。弦楽器は弦楽器にしか聞こえないんだ。両親もとっくに諦めてるよ」
 諦めてる、なんてネガティブな言葉を使う割りに、先生の表情は平然としたものだった。その様子は自棄になってる感じじゃなくて。
「平気…なんですか?」
「別に。ぼくは音楽より、化学の方が好きだから」
「………」
「先生になりたくてなったんだよ。…でももっと、普通の学校でも良かったとは思ってるけどね」
 それは……嶺華みたいな特殊な学校になんか、来たくなかったってこと?
「嫌い、ですか?嶺華のこと」
 なんでこんな、がっかりしてるんだろう、僕は。先生が嶺華に嫌気がさしているなら、原因のひとつは絶対僕自身なのに。
 ――ナツが大事にしてる学校だから?
 思わず下を向いてしまう僕に、先生は笑い出していた。
「先生?」
「あははは!ほんとに君は、嶺華が好きなんだな」
「僕…が?」
 ナツじゃなくて?
「嫌いなわけじゃないさ、まだ慣れていないだけだよ。ここはぼくの知っている学校ってものと、あまりに違いすぎるから」
 口元を押さえて笑う藤崎先生は立ち上がって、小さな子供にでもするみたいに、僕の髪をくしゃってかき混ぜた。
「例えばね。他の先生に生徒の指導をどうしたらいいか聞いても、放っておけば大丈夫、と決まって同じ答えが返ってくるんだ。それどころか、わからないことがあれば生徒会長に聞いてくれ、とおっしゃるんだよ?」
 空になったマグカップを流しへ持っていく先生の背中、窓からの光が当たって優しい色に見える。
「普通は逆だと思わないかい?道に迷った生徒を導くのが、教師の役目だろう?」
「…でもナツに任せておけば、本当に大丈夫なんです」
 意地になって言う僕にも、何でもない顔で「そうみたいだね」って笑ってる。
「さっき彼に聞いたら、高等部の生徒の名前と顔は大体覚えてると言っていて、驚いたな。女子部の子も半分くらいならわかるって」
「…ナツは記憶力いいから…」
「みんながナツくんを頼りにしてるのは、よくわかってるよ。だからこそ、見ていて時々思うんだ。一体どれくらいの人が、ナツくんがまだ高校生だということを、理解しているのかな」
 窓際に寄りかかって、僕を見ている先生。口元は柔らかく笑ってるけど、メガネの向こうから真剣な眼差しが、僕の方を向いていた。
「生徒会予算のことも、新入生歓迎会のことも。ナツくんがやってくれると、そう自然に考えてしまうことは、頼っているんじゃなく甘えてるんじゃないのかい?」
「…………」
「みんな二言目には『会長に任せておけば間違いないから』と言うね。それはナツくんには間違いを許さない、ということなのかな」
「そうじゃありませんっ」
「…………」
「そうじゃ…ないけど…」
 続く言葉を、僕は見つけられなかった。